ナイルパーチの女子会

ナイルパーチの女子会

2021年7月24日

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「ナイルパーチの女子会」柚木麻子 文藝春秋

図書館に予約してから結構長い時間待たされた。しかも、後ろに300人ほどの待ちがあるという。大人気だなあ。

読み出したら、一気だった。確かに上手いなあ、と思う。でも、読後感はあまりよろしくない。

エリートだけど、友達が作れない主人公。ぐうたら主婦だけど、その生活を描いたブログは大人気の女性。その脳天気な夫。エリートが高校時代に傷つけてしまった友人。エリートの会社に務める派遣女子社員、エリート男子正社員、そしてキラキラ主婦ブログの書き手・・・・。現代の典型的な人間像ばかり登場するような気がする。

友だちがいない、ということがこんなにも大問題になるのか、と思う。主婦の間では、保護者会や子供の行事にぽつんとしていることが何よりも屈辱だとされている・・・らしいし、学生たちは友だちがいないことを恥じて、トイレで食事をとったりもする・・らしい。成人男子はどうなのかな。その辺りは謎に包まれているけれど、うちの夫を見る限り、友達の有無を気にしているふうには見えない。今のところ、そういう小説も読んだことないしな。

主人公の女性は、何かしらの機能的な障害があるのかもしれない、と思わせる造形である。他者の気持ちを想像できない、言葉を言葉通りに受け取る、自分の思い通りに事が進まないとパニックになる。だけど、素晴らしく優秀で、人間関係がうまくいかないことに傷つく豊かな感性は持ち合わせている。

ああ、こういう人いるな、身近に知っている、と思う。彼女の側の苦しさを見せてくれたという点ではなるほどと思うところはある。だが、一度思考が狂気の域に入り込んでいくと、もう誰にも止められない。それが恐ろしく、苦しく、やるせない。

結局のところ、友だちがいるということは、他者に承認されているという証を得たということなのか。それは一つの勲章のように、身を飾り、人に見せることで意味を持つものなのか?そういうことなのか?

私にも、ありがたいことに良き友は何人かいて、彼女らのすべてが素晴らしくすべてを好きだというわけではないが、それはお互い様である。私もそうであるように人は完全ではなく、足りないところは目をつぶりあい、助け合えるところは助け合い、分かり合うところは分かり合い、触れないところは触れないような関係性を保てている・・・と私は思っている。その存在は私にはとてもありがたく、大きな支えとなっている。が、一方で、そこに私の価値を置こうとは思わないし依存しようとも思わない。だって、そうされたら、私も重いしつらいものね。

大人同士の関係性とはそういうものだと思う。この本に描かれている友達関係は、もっと重くるしく依存的である。もちろんそれが良いとされているわけではないし、そんな場所でもがいてしまうことってあるよね、というひとつの提示がされているし、ある種の救いに向かってもいはするのだけれど。でも、どこかで依存しあう友達関係に拘泥する女性たちへの媚・・・と言ったら言い過ぎなのだろうか、わかるよ、そうなっちゃうよね、という諦めを含んだ肯定があって、それがなんだか居心地悪い。

友達がほしい、というのは極めて現代的な課題であって、そこを描くとウケるよね、ということなのか、と私のブラックな心は思うのである。ランチのアッコちゃんは好きだったのにな。

2015/11/26