ファインマンさんは超天才

ファインマンさんは超天才

2021年7月24日

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「ファインマンさんは超天才」C.サイクス  大貫昌子役 岩波書店

「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(ファインマン著 岩波書店)を読んで以来、ファインマンのファンである私。ノーベル賞を取ったこの物理学者は、いつも明るくユーモアがあって、好奇心に富んでいて、率直で、そして、賢い。私の理想の男性の一人である。

作者は英国BBCのプロデューサー、ドキュメンタリー映画の監督。ファインマンのドキュメンタリー映画を作った人でもある。この本は、ファインマンと、彼の周囲の人達へのインタビュー、講演、談話で構成されている。文章として書かれたものでないため、肉声に近い、生きた彼の姿が浮かび上がってくる。

少年ファインマンに、ものごとをつきとめる楽しみを教えたのは、彼の父だった。

さてその次の月曜日、おやじたちが皆、ニューヨークに働きに戻ってしまった後、僕ら子どもたちが野原で遊んでいると、一人の子が僕をつかまえて
「ほらあそこに鳥がいるだろ?あれはなんて鳥か知ってるかい?」と言った。
「さあ、ぜんぜん知らないね」と答えると、
「あれはね、茶色つぐみっていうんだぜ。何だ、君のおやじはそんなことも教えてくれないのか!」
ところが本当はその逆だったんだ。僕のおやじもその鳥を指さして
「あの鳥はなんという鳥かわかるかい?あれはスペンサーうぐいすというんだよ」とちゃんと教えてくれたのだ。(おやじがほんとうの名前を知らないらしいのは僕にもわかっていた。)それから続けて
「最もポルトガル語ではボンダ・ペイダ、イタリア語ではチュット・ラピティーダ、それに中国語だとチェン・ロンター、日本語だとカタノ・タケダ・・・」など並べたあと
「あの鳥の名前を知ろうとすれば、これだけいろいろあるわけだが、いくら名前を並べてみたってあの鳥についてはまだ何ひとつわかったわけじゃない。ただいろいろ違った国の人間が、それぞれあの鳥をどう呼んでいるかわかっただけの話だ。さあ、それよりあの鳥が何をやっているのか、よく見るとしようか。大事なのはそこのところだからね」と言ったんだ。
こうしてぼくは早くから、何かの名前を知っているということと、何かの意味を本当に知るということの違いを教えられたわけだよ。

ファインマンは、本当はノーベル賞なんて欲しくなかったという。本当かな?照れ隠しじゃないんだろうか、と最初は思ったが、この本を読むと、それが本当だったことがよく分かる。彼は、こんなふうに言っているのだ。

 ぼくは名誉というものが嫌いなんだ。自分のやった仕事を認められるのはありがたいと思うが、それを大勢の物理学者が使ってくれているのを知るだけで十分だ。それ以上何も要らない。だいたいそれ以外の意味などないんじゃないか。スウェーデンン王室アカデミーの誰かが、この研究は賞に値するだけ「高尚」であるなんぞと決めたからって、それにどういう意味があるんだい?ぼくはもうとっくに賞を受けているんだ。ものごとをつきとめる楽しみ、発見の興奮、他の人がそれを使っているのを観る喜び、それが褒美だよ。それこそが現実のものなんだ。名誉なんてものはぼくには現実のものとは思えない。ぼくは名誉なんか信用しないんだ。(中略)マスコミがあれほどたいへんだとは思いもよらなかったね。受賞と聞いたとたんそれを貰いたくないのはわかっていたんだ。何とかして断る方法はないかとしきりに頭を絞ったが、他の受賞者同様、ちょっと考えれば素直に受け取るより断るほうがよっぽど騒ぎが大きくなることに気がつき始める。ノーベル賞とあろうものを断ろうなんて、てめえをどこの誰様と思ってやがるんだ!ということになるだろうが、それも困る。だからあの連中、つまりスウエーデン王室アカデミーも、誰かを選んだら、そっと電話して賞を提供するくらいの礼儀をわきまえていりゃ、すくなくともこのジレンマは解消できるんじゃないかな?そうすれば欲しくないものが断っても、誰にも知らせてないんだから別に世間に大騒ぎをされることもないだろ。これはわりに簡単な解決法だと思うんだがね。

ファインマンはチャレンジャー事故調査委員会の一員だった。この時、彼は腹部ガンの大手術を二度も受けた後で、心臓も病んでいた。しかし、彼の妻が、彼なら誰にもできることじゃないような貢献ができるかもしれない、と言ったので、彼はその役目を引き受けることにした。そして、そのことは大きな意味を持ったのだ。

私はアメリカに幻想を持っていたのだなあ、と読んでいて気がついた。事故調査において、アメリカなら、公正に原因を追求し、責任者を曖昧にしたり、玉虫色の、誰も悪くない的な調査なんかやらんだろう、となんとなく思っていたからだ。しかし、実際には、NASAを悪く言うような責任追及のやり方は大いに妨害を受けたし、率直で物事の本質を常に知りたがるファインマンのような人物は、警戒され、情報を遮断されたのだ。

しかし、ファインマンは、テレビの前でOリングを分解し、ゴムの一片を散りだして、シャトル接合部に詰め込んであるような状態に締め具で締め付け、氷水に浸し、打ち上げの日の温度にまで冷やして、Oリングが元の形に戻らないのを実験してみせた。

あの実験は彼以外には誰も出来なかっただろう。二つ星の大将とか元国務長官、月に着陸した最初の人間じゃ、氷水の入ったビーカーを取り出して実験するなど、どうもしっくりしないからね。だがファインマンにはそれができた。もし彼に短所があるとしたら、それはショーマン気質だよ。彼は実にみごとなショーマンだったな。

ファインマンの「シャトル信頼度に関する個人的観察」の結びの言葉を読んで、私はフクシマのことを思い出した。ここには、全く同じ構造がある。

 無理のない打ち上げスケジュールを維持しようとするなら、過去の非常に安全な航空機のため設定されていた保守的な安全性確認基準に、シャトル工学が追いついていくことはとうてい不可能である。こうした場合には飛行計画のスケジュールに合わせるため、一見合理的な論拠に基づき、その基準が微妙に変更されることがしばしばある。したがってシャトルは比較的安全でない条件で飛ぶ結果となり、その失敗の確率も一パーセント台である(これ以上正確な割り出しは困難である)。
これにひきかえ、管理者側の主張による失敗の確率はその一〇〇〇分の一となっている。その理由の一つとして考えられるのは、資金確保のため政府に対し、彼らが本気でそれを信じていたことも考えられるが、もしそうであれば、それは彼らと実地に働く技師たちとの間に、ほとんど信じがたい程の意思疎通の欠如があったことを示すものである。

この本は、ファインマンの死までを描いている。若くして最初の妻を亡くしたファインマンは、死をいつか来るものとして受け入れていた。そして、最後まで周囲の人間を気遣い、明るく過ごしていた。そのことに、私は胸打たれずにはいられない。彼は、すべてのことに好奇心を持ち、知りたいと願い、最期まで観察して逝った。それは、見事な人生だったと思う。

彼が科学者としてイノセントなあまり、疑問に思うところがないでもない。しかし、それを補って余りある魅力的な人物である。こういう人に、私は会いたかった。

(引用はすべて「ファインマンさんは超天才」C.サイクス より)

2012/5/13