ファミ通と僕

ファミ通と僕

2021年7月24日

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 「ファミ通と僕 1 2」伊集院光 エンターブレイン

以前にも書いたように、伊集院光のラジオを聞くようになって、この人物にハマった。クイズ番組で素晴らしい成績を出す温厚な人柄、は彼の一部にすぎない。シモネタを連発し、僻みと強情の入り混じった孤独を好む黒い側面もあれば、とてつもないゲーム好きでもある。この本は、ゲーム好きとして「週刊ファミ通」に彼が連載していた1998年から2002年までのコラム。それに、2013年現在読み返してコメントを付けてまとめたものである。

私はいわゆるゲーム機器類のゲームをほとんどやらない。正確に言うと、下の娘がお腹にいるときにドラクエの「天空の花嫁」とかいうのをやったのが最後である。あの時はつわりが辛くて、それを紛らわすためにやたらとコントローラーを操ったものだった。以降、子育てに追われてそもそもがゲームをする余裕もなかったし、暇になったら別の趣味で十分時間は過ぎていったし。

夫と上の息子は結構なゲーマーだったので、この二人がプレイしているのを横から眺めることは割に多かった。家族の会話にもゲームの話題はよく出てきた。だから、案外、ゲームに関する知識がないわけではない。

1998年から2002年というと、下の娘が生まれてから4歳になるまでだ。あの頃、子どもたちの遊びの花形はゲームだったし、大人も結構やりこんでいた。だから、当時のゲームを語ることは、ある種の歴史を語ることにもなる。次々と登場するゲームの話を読んでいると、不思議なほどあの頃の空気が戻ってくる。そうだった、ワンダースワンなんてゲーム機が発売されたんだっけ、とか、ダンスダンスレボリューション、流行ったよなー、なんて。

伊集院の遊び仲間は、当時は暇で暇で仕方なかったアンタッチャブル山崎だったり、海砂利水魚〈現くりいむしちゅー〉の有田だったり。仕事がなんにもないので、いきなり山崎を電話で呼びつけてそのまま甲子園に高校野球を見に行った話など、今読むと隔世の感がある。

ゲームという括りで10年前を振り返ると、こんな感じになる、というのが興味深い本である。今、同じようにゲームを語っても社会を語ることにはならないだろうなあ。みんなスマホに流れこんでしまっているし。一時期、ゲームの時代というものが確かにあったのだなあ、と思う。今の子達は、やっぱりゲームをやり込んでいるのだろうか。

2014/8/15