ムスコ物語

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97 ヤマザキマリ 幻冬舎

「テルマエロマエ」の作者、ヤマザキマリによる息子にまつわる物語である。この人、漫画だけじゃなくて、文章もいけるんだ。美ら海水族館の大水槽前でイルカを見ている息子の後ろ姿の表紙絵も温かい。あんまり普通の親ではないけれど、子どものことを彼女なりのやり方であふれるように愛しているのだ。

私は転勤族の娘で、そして私の子供たちも同じように転勤族の子供だったので、数年おきに点々と全国を漂浪しながら、新しい土地で知らない人たちの中に放り込まれて、そこで何とかやっていくという経験をしてきた。ヤマザキマリは十代半ばで一人でイタリアへ行き、そこで暮らした。シングルマザーとなった彼女の息子、デルスはイタリアで生まれ、札幌で育ち、小学校半ばでシリア、リスボン、シカゴを転々として大学はハワイへ行った。我々と同じ漂泊の身だが、スケールが違う。行く場所場所で言語も文化も習慣も違う。かなりハードな体験だったと思う。

結婚して新しいお父さんお赴任地のシリアへ行くよ、と母マリに言われて、大丈夫だよと答え、以後、異議申し立てもしなかったデルスであるが、彼の手によるあとがきによると、実は心の中には大きな葛藤があったという。だが、それを言うことはできなかった。そうだよね。子どもは親に育てられているのだし、親はもう結論を出しているのだし、たとえ異議申し立てをしたところで、自分が親から離れて生きていけるわけもないもの。多少ものを考えればわかる事だから、大丈夫だよ、というしかないよね。親は、子どものことを本当に知らない。

私は子供時代、大人は、親は、教師は子供のことなんて、気持ちなんて何一つわかってないのに、わかってるつもりになってる、といつも思っていた。自分が大人になったら子どもの気持ちをわかる大人になれるとも思えないけれど、せめて、大人は子供のことを実は何もわかっていない、ということだけはわかる大人になろうとずっと思ってきた。だから、そのことだけは肝に銘じている。ヤマザキマリでさえ、デルスの本当の気持ちは、彼が大人になるまでわからなかったのだ。でも、それでよかったのかも、とデルスは言っている。そうだ、いつだって親は子供に許される。子どもってすごい。そのことも覚えておかねば。

札幌市内の過疎学校で伸び伸びと育ったデルスはリスボンの地元小学校でジャイアンのようなボスにいじめられる。そいつを殴ってやる!と息巻くマリを彼は必死に止めたという。わかるわー。転校生の受ける洗礼は私もよく知っている。それは親がぶん殴りに行って解決する問題ではないからね。でも、ぶんなぐってやる、という親がいてくれることは、いないよりはずっと助けになるとは思う。そのことを親に言うこともできない、ばれないように必死に隠す子供はもっとつらいものだしね。

デルスはそれでも彼なりにのびのびと育った。それはやっぱりヤマザキマリのおおらかでたくましい存在があったからだろう。育てるというよりは、ともに生きた、という感覚である。それでいいよなあ、と思う。私も、子どもたちをしつけ、教え、育てたというよりは、一緒になんとかやってきた、という感覚のほうが強い。そして、彼らはもう私の手を離れたから、それぞれ勝手にしっかりやってくれたまえ、としか思わない。ヤマザキマリがデルスと距離感をもって生きているのも理解できる。距離があっても、ちゃんと家族としてつながりあっている。それでいい。

気持ちのいい物語であった。ヤマザキマリは、気持ちのいい人だ。