ワニを抱く夜

ワニを抱く夜

2022年3月2日

30村田喜代子 葦書房

村田喜代子が好きだ。読み落としはないかと図書館のリストを探していたら、見慣れない題名があったので予約を入れた。それがこの本だ。そうしたら、これは1990年に出された「白い山」と1999年の「燭台」と1989年の「ルームメイト」に収録されていた短編を集めた本であった。だから、一度読んだことがあるはずの短編ばかりが載っていた。

とりわけ「ルームメイト」は、当時「村田喜代子はすごい」と心から思うに至った短編であった、はずである。電話で友人に「すごい本があるの、読んで。」と言って「ルームメイト」という題名を告げたのを覚えている。ところが、読み返したら詳細は全く覚えておらず、新鮮に楽しめてしまった。歳を取るって同じものが二度おいしいということなのね(苦笑)。

家政大学の食物科の助手である女性がたんぱく質の原子模型の組み立てをするのである。同じ大学の繊維科の助手のルームメイトがそれを手伝う。というエピソードだけは明白に覚えていた。夜、二人で息をつめてアミノ酸の組成を色玉で構成していく。ただそれだけの描写が何と美しくなんと深くなんと多くを語るのか、と引き込まれたのを覚えている。

今回読み返すと、確かに模型を作るシーンはやはり、良い。良いが、そこまで引き付けられるわけでもない。いったい私は何にあんなに感動したのだっけ、と思ったりもする。

「ヒストンHという蛋白質のアミノ酸の配列ではね、動物脳死と植物のエンドウ豆のちがいは、たった二カ所だったわ。これはすごい興味ある事実だと、あたしは思うの。」(中略)
「ヒストンHには約百個ほどアミノ酸の玉がつながっているのよ。それなのに牛とエンドウ豆の違っている箇所は二つしかない。ねえ・・・・、牛とエンドウ豆が遠いむかし形も名前もない頃に枝分かれしてから、ずいぶん時間がたってしまっているのに、いまだにこんな近いところにいるなんて、まったく不思議だとおもうわ。ねえ、そうでしょう。アミノ酸のふたつぶで、ひっくりかえってしまうわ。牛はエンドウ豆に、エンドウ豆は牛に・・・・」
 つまり牛がここに立っているなら、なぜかエンドウ豆は角を二つ曲がったくらいの所にいる。
(引用は「ワニを抱く夜」村田喜代子 より)

チトクロムCという蛋白質のアミノ酸配列では、猿と人間の違いはたった一カ所である。人間とサルは言うならすぐそこの道の角で別れてきたのだろう、とルームメイトは言うのだ。

そんな会話が、最後にルームメイトと主人公の人生の岐路に響いてくる。ほんの少し離れた場所で、角を曲がった人たちの話。なんだかそういうものが、ひどく胸に響いてしまうのは、あのころからまた違う経験を積んできたからなのだろうか。

村田喜代子の書くものも、またずいぶんと変わってきた。深みが増し、凄味が増したと思う。それにしてもこの人の描く老人はいつも素晴らしい。おばあちゃんに育てられたという成育歴のせいなのだろうか。老人はみな生き生きと力にあふれていて、どこかおかしくなればなったで、そのおかしさがより輝いていることに感心してしまう。

村田喜代子さん、どうか長生きしてこれからもよいものをたくさん私に読ませてください。

ところで。遠い日本でウクライナのことを祈るのが無意味で無力だという人も世の中にはいるらしいが、私は、この地球上で戦争反対を叫ぶ人がこれだけいると皆が知ることに意味はあり、それは力であると信じている。なので、こんな場所で書いておく。

戦争反対。ウクライナに平和を。どんな戦争も、許してはならない。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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