上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!

2021年6月1日

37 上野千鶴子 田房永子 大和書房

2019年の東大入学祝辞で物議を醸した(感動を呼んだ)上野千鶴子と「母がしんどい」の田房永子。田房が上野先生にフェミニズムとは何か、を尋ねる対談本。まだるっこしい部分もあったけれど、学ぶべき部分も多々ある本であった。

上野千鶴子の世代は、結婚するのが当たり前、であった。累積結婚率(一生に一度でも結婚したことがある人の率)がピーク時には男97%、女98%だったと言うから、そんな中で独身を貫くのは並大抵のことではなかっただろう。その頃は、娘が働くことは母を裏切ることでもあったのだ。が、その後、結婚もしろ、職業人としても成功しろ、という命題が規格化する時代が来る。女は結婚もし、子供も生み、仕事もして、しかも、子育ても介護も引き受けろ、という無茶苦茶な負担を強いられて当たり前の時代が到来してしまった。それじゃしんどいに決まっている。だから、女性たちは、それをどうにかしようとしているのだ。まだまだ大変なままだけどさ。

私の時代も、まだ女性の大学進学率は三割程度だったと思う。私は、入るのが割に難しい大学に合格したのだが、父に「女の子なのだから、滑り止めのミッションの私立大学に行ったほうがいいのではないか」と言われた。職場で同僚に尋ねたら、みんな声を揃えてそうしたほうがいい、と言ったのだそうだ。受験時にはなんの関心も持たなかったくせに、受かった途端にその言い様かよ、と驚いた。なんとか希望の大学に行かせてもらえてホッとしたのだが、生意気になった、とよく苦々しい顔をされたものだ。上野氏も、「女は学歴があると食えなかった」と言っている。さすがに最近は女性も勉強してなんぼ、になっては来ているけれど、それでもまだまだ東大の女子学生率は低いといわれているしね。

「個人的なことは政治的なこと」という章がある。ほんとにそうだなあ、と思う。私の母は今年の暮に88歳になるのだが、84歳で夫をなくして、生まれてはじめて一人暮らしをするようになった。そこに立ちふさがる様々な困難。母の一人暮らしをサポートしながら、本当に驚くことが多かった。彼女の個人的な生活の困難は、結局の所、女性が社会の中でどのように位置づけられてきたのか、を投影しているのだと思う。あの年代の女性は、何かを自主的に判断選択する事が極めて少なく、常に男性の助手であり、裏方であり、言われたこと、求められたことを淡々とやる立場に置かれていた。だから、主体的に物事を考えたり判断したり決定したりすることが、ものすごく苦手なのだ。というか、そういう経験がない。年金のことも、税金のことも、保険のことも、家のことも、大きな買い物の決断も、全てそれまで夫の役目であったために、何もわからない、考えられない。そうじゃないしっかりした女性もいるにいるんだろうけれど、わりに標準的な女性であったはずのうちの母ですら、全くそういうことに対しては無知、無力であることに私は驚愕した。「私はわからないから、あなたがいいと思ったようにして。」というセリフを何度聞いたことか。でも、それで自分のための人生になるのか。本当はどうしたいのか、を自分で考えなくていいのか。と、何度私は尋ね、何度さらに母を困惑させたことか。

自分の人生を生きる。自分が何を求めているかをきちんと見据える。困難があったら、それをどうにか乗り越えるための術を考える。そういうことの積み重ねが、実はフェミニズムでもある、と思う。たまたま女性という立場には、共通する様々な困難があったから、それについて皆で手を携えたほうが乗り越えやすい、というだけで、それは、LGBTであったり、難病であったり、障碍であったり。それ以外の様々な困難を抱えている人にとっても同じ様な問題なのであると思う。自分が女性であること、あるいはLGBTであること、障碍を抱えていること、などなど、困難のもとになっていると思われる自身の特性を、そのまままるごと大事にできる、愛せるような社会を目指すやり方が、フェミニズムでもあり、またその他の社会運動でもあるのであって、それらは皆、同じ方向を向いているものなのだ。

それぞれが違ったものであったとしても、緩やかに繋がりあって、互いに助け合える部分は助け合って、もっと楽で幸せな生きやすい世の中になればいいね、とつくづく思う。なんて幼稚な結論なんだ、と思わば思え。それこそが、最も難しく、でも立ち向かう価値のあることなのだ、と私は思うから。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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