久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった

久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった

46 久米宏 世界文化社

久米宏というと「ニュースステーション」という人が多いのだろうけれど、ラジオっ子だった私は「土曜ワイドラジオTOKYO」をまず思い出す。ラジオの久米宏はやんちゃで破天荒で面白かった。いま考えると信じられないような(ここにはとても書けないような)企画もやっていた。ラジオで久米宏が面白いと知った私は「ぴったしカンカン」も「料理天国」も見るようになった。こんど歌謡番組をやることになったんですよ、とテレビで芳村真理に話していたのを覚えている。そう、「ザ・ベストテン」。その間に女性がらみのスキャンダルもあったりして(ラジオ時代のアシスタントがお相手だった)、それからベストテンを降板して「ニュースステーション」が始まった。

ニュースステーションは面白かった。今までにはない切り口のニュース番組だった。初期の金曜チェックも面白かった。長いことやっていたなあ。最後のころはあんまり見なくなり、そして、彼は降板した。その後、ほんの瞬間的に千原ジュニアと「クメピポ!」なんて番組をやっているのをみたこともあるが、あっという間に終わった。それから少しして、またラジオに戻った。ラジオは面白かったなあ。そして、それも終わった。最終回は晴れ晴れとした様子であった。まあ、齢も齢だったからねえ。最後まで東京オリンピックの開催に反対しているのはあっぱれであった。

この本は、久米宏自身が自分の半生を振り返ったものである。とりわけニュースステーションをどのように作り上げたか、が中心になっている。それまでの番組が、すべてニュースステーションに生きてきたということがこれを読むとよくわかる。中学生にもわかるように、自分は司会者に徹し、誰も口にしていない言葉を言い、そして、「だれもが自由にものを言える社会」を理想として作り上げられたニュース番組。細部に至るまで、どんなに繊細に注意を払って作られた番組だったのかが説明されている。あれを十八年以上続けるのは、本当にとても大変なことだったのだろうと思う。最初はニュースには素人の自分、であることを強みとして始めた番組であるのに、最後にはまるで専門家のように思われるに至っていた。だからこそやめることにもなったのだろう。

万人に好かれなくてもいい、ということが書かれていて、そうだよなあ、とつくづく思った。誰にでも好かれるということは、個性がないということだし、誰にも印象に残らないということかもしれない。全員が同じ番組を見ることはないのだから、見てくれた人の一部に好かれればいいのだ、という気持ちが思い切りを産み、特色となった。人間関係だって同じだよなあ、と思うね、本当に。

いま、久米さんは何をしているのだろう。ラジオをやめてしばらくネットでいろいろ話していらしたようだけれど、それもお休みされているらしい。ゆっくり休みたいのかもしれないよね、今まで走り続けてきたから。でも、最後まで、何を言っているかよくわからなくなってもなおラジオに出続けていた永六輔さんを私は思い出す。また、たまにはラジオに出てほしいなあ。

ラジオが最近、つまらない。伊集院光の昼の番組が終わったからなんだけど。もう一度、伊集院さんにも昼のラジオをやってほしいし、そこに久米さんが出てくれたら、もううれしくってならないのだけれどなあ。そんな夢を見ながら、この本を読み終えた。