伊丹十三の本

伊丹十三の本

2021年7月24日

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「伊丹十三の本」 「考える人」編集部 編 新潮社

 

古書店で購入した本。ずっと積んであったが、このところ、図書館で借りるのを控えていたためにやっと読むに至った。
 
伊丹十三が亡くなって、もう二十年近く経つ。彼はもう過去の人なのだろうか。若い人たちは、伊丹十三って、誰?というのだろうか。
 
映画監督として知られている伊丹十三だが、私にとっては、名エッセイストの印象のほうが強い。彼のエッセイは本当に魅力的で、かっこよくて、才気に満ちていた。かっこいい大人ってこういう人のことを言うんだ、と思っていた。
 
彼はデザイナーでもあり、俳優でもあり、エッセイストでもあり、編集者でもあり、ディレクターでもあり、そして映画監督であった。何をやらせても一流であった。だのに、なぜ、あんな突然の終わり方をしたのだろう。
 
戦前、京都に作られた超英才教育の学校で、湯川秀樹のご子息なんかと一緒に学んでいたとは初めて知った。小学生の頃から英語を習っていたそうだ。だから、英語が堪能で海外の映画に出たりしていたのだ。大江健三郎との交流は有名だが、松山の高校で大江と出会う前に、京都でひとりで暮らしながら別の高校に通ったり、そこを休みがちになったり、父を亡くし、母が再婚し、子ども時代は波乱に満ちていたようだ。あの時代、誰もがそれぞれの波乱の中で生きてはいたのだろうが。
 
伊丹十三の死について最後の方で宮本信子が語っている。墓場まで持っていく、と言っていて、彼女は何かしらの問題があることをわかっていたのだろうけれど、まさか死に至るとまでは認知していなかったのだろう。彼らの子どもたちが何かのテレビ番組で、伊丹十三を許さない、と語っていたのを聞いたことがあって、そんなに父が許せないのか、と思ったが、それは、母である宮本信子をそこまで打ちのめしたこと、子である自分たちを残していってしまったことへの恨みがあったのか、それともそれ以前の関係性の中に何ごとかがあったのか。どんな本を読んでも、伊丹十三は良き父であろうと努力した人のように思えてならないのだが、子の立場になってしまえば、また違った感想があろうことも想像はできるし、そこまで知りたいと願うのは、プライバシーの侵害という他はないのかもしれないが。
 
伊丹十三は、どんな死に方をしたのであれ、私の中では今でも燦然と輝く人である。あの才気、あの機知、あの発想、あの視点、あの切り取り方。何をとっても颯爽としている。彼の中に何があったのか。それを知ったところで意味は無いのかもしれない。私にとっては永遠にかっこいいエッセイスト。それが伊丹十三である。

2016/9/30