佐野さんが死んだ

佐野さんが死んだ

2021年7月24日

佐野洋子さんのことは、日記で何度も書いた。
また、同じことを書くから、知ってる人は、また書いてら、と思うだろうけど。

佐野さんが余命二年と宣告されてから、じわじわと覚悟を決めてきた。
だから、ショックは受けない。
受けないけれど、じわじわと悲しい。

佐野洋子さんと谷川俊太郎氏がまだ結婚前、きっとラブラブだった頃に、仙台の書店企画で二人の話を聞きに行った。
まだ二人の関係が公にされていない時だったけれど、谷川さんの佐野さんを見る目は、何だか少年のように一生懸命で、おや、これはアヤシイゾ、とすぐに分かってしまった。

週刊文春のアガワ対談では、女性に自分から言い寄ったことはない、いつも相手から好きになられるんだ、なんて豪語していたけれど、絶対、あの時の谷川さんは佐野さんにメロメロだった。そういう顔してたもの。

佐野さんは、「本当はおすぎと対談したかったのよ」と言った。あれは、照れ隠しだったのだろうか。谷川さんは「僕はオカマの代わりなんですね」と、少し傷ついた顔をしていた。

私が、当時出版されたばかりだった「良いおっぱい悪いおっぱい」に絡めて、伊藤比呂美さんについてお尋ねしたら、出産って珍しい経験だし、それを書きたくなったんでしょう、彼女は若いし、みたいなことを谷川さんが答えた。そうしたら、佐野さんが「男ってほんとにこうだから。」と割に本気で怒った。谷川さんは、何だかしょげていた。

とある質問者が、佐野さんの絵本を読むと本当の優しさということについて考えさせられます、とか、子どもの純粋さを感じます、とか、そんなことを言った。
そうしたら、佐野さんが、私はやさしくないし、子どもも純粋でもない。私は、子育ての話をする資格もない。私の子どもはぜんぜん言うことを聞かない、恥ずかしくて人様に見せられない、というようなことをきっぱりと言った、その事を、鮮明に覚えている。

時が過ぎて、佐野さんが、実は、私のかかりつけの病院で、乳癌の手術を受けたと本で読んだ。こんなに近くにいたのね、と私はびっくりした。医師に宣告された余命も明らかにされていた。あと二年、と言われて心がパーっと明るくなって、帰り道に、ジャガーを買った、と書いてあった。
それから、去年の年末だか、息子さんに「母さん、死ぬ気満々だね」と言われた、という話を雑誌で読んだ。
たぶん、それが最後だったかな。

佐野さんは、怖がらずに亡くなったんだと思う。
長い間確執のあったお母さんと和解して、息子も立派に育って、安心していったのだろう。向こうには、優しかったお兄さんも、愛してくれたお父さんも待っている。

だけど、私はやっぱり悲しい。佐野さんが好きだった。きっぱりとして、本当のことを、本当の言葉で言える佐野さんが好きだった。本当のことを、きちんと見据える佐野さんが好きだった。

佐野さんは手紙の名手だったんだって。
佐野さんの手紙をもらった人は、また読みたい、また書いて、とせがんだらしい。
佐野さんは、いい男がいたら、手紙で落としてやる、絶対落とすからね、と言ったそうだ。そうして、落としたんだ、と、どこかで読んだ。落とされたのは、きっと谷川さんだね。

佐野さんの残した沢山の本は、佐野さんの手紙だ。
そして、私はすっかり落とされてしまったよ。
佐野さん、ありがとう。
たくさんありがとう。

また、好きな人が死んでしまった。

2010/11/7