偏愛ムラタ美術館 発掘篇

偏愛ムラタ美術館 発掘篇

2021年7月24日

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「偏愛ムラタ美術館 発掘篇」村田喜代子 平凡社

第一「展開篇」の間に当たる本である。やっぱり村田喜代子は素晴らしい。

黒澤明が村田喜代子の芥川賞受賞作「鍋の中」を元に「8月の狂詩曲」という映画を作った。ムラタさんは、作品の中に原爆のことを一言も書いていなかったのに、黒澤明が勝手に脚色してしまった、という。

田舎の祖母の薄れかかった記憶の底に原爆の巨大な影を染め付けたのは、黒澤監督の勝手な脚色だった。年寄の不確かな記憶の池にこそ恐ろしさと面白さを込めて書いたのに、映画ではピカの大目玉が炸裂して謎解きをしてしまったというわけだ。

        (引用は「偏愛ムラタ美術館 発掘篇」村田喜代子 より)

黒澤明は原作者に何度も会いたいと言ってきたが、彼女はとうとう会わなかった。いつならいいか、と問われて「ずうーっと」と答えたという。

そして、文藝春秋に「ラストで許そう、黒澤明」と書いた。原作と、原爆の部分のつなぎ目がギクシャクしているが、はじめと終わりがいいから、許す、と書いたのだ。御大、黒澤明に、ムラタさんは毅然とした態度を貫いた。それが小気味いい。

この本の中で、黒澤明の絵コンテを取り上げている。「絵コンテで許そう、黒澤明。」と書いている。確かに、絵コンテの一枚一枚は、力のこもった、それだけで一枚の絵画として、芸術として成り立つような見事なものであった。

先日、近所の小さな百貨店でささやかな熊谷守一展が開かれていた。画商による、絵を売るための展覧会であった。晩年のシンプルな、というより雑なと言ったほうがいいほどの、描き込みの少ない、あっさりした乱暴な絵もあったが、味わいがあった。これだけ少ない線だけで、猫を描けるのか、と感心したり、子供のいたずら描きのように見えてもやっぱり人を引きつける河童の絵などに笑ってしまった。

この本でも「生きるべし、生きるべし」という章で熊谷守一が取り上げられている。娘の死や、轢死体や、水死体などをエネルギーを注いで描いていた彼が、晩年、あっさりした線画に変わっていった、それを、「行き着いた」とムラタさんは書いている。シンプルな線で描かれた猫の絵に、命がある、と私もつくづく思う。ムラタさんの文章を読んでから絵を見ると、絵の深まりがぐんと増すような気がする。そんな文章をかけるムラタさんに、脱帽である。

2020/12/15