僕はパパを殺すことに決めた

僕はパパを殺すことに決めた

2021年7月24日

「僕はパパを殺すことに決めた」草薙厚子 講談社

供述調書の流出が批判された本。図書館で貸し出しを制限すると言う噂も流れたので、手に入らないかと思ったけれど、特に何の問題もありませんでした。

6/14のブログ「「でっちあげ 福岡『殺人教師』事件の真相」(福田ますみ)に近い感想があります。マスコミ報道が、真実を伝えているとは限らない、という。

奈良エリート少年自宅放火事件。有名進学校に通う高校生の少年が、テストの成績が悪かったことを父親に知られるのを恐れ、自宅に放火して継母と幼い兄弟を殺してしまい、当日不在だった父親は助かったと言う、あの事件。報道では、父親が、自分のしたことを後悔し、少年が帰ってくるのを待って、一緒に罪を償っていこうと呼びかけ、少年も強く反省している、ということだったし、継母との関係が取りざたもされたのだけれど。

供述書から浮かび上がってくるのは、父親の、少年に対する恐ろしいほどの抑圧と、むしろ継母が少年を助け、救おうと苦悩し続けていたと言う事実だ。継母は、少年の本当の母になろうと努力し、父親の虐待から守ろうと、心を砕き、学校とも連携しようとし続けていた。にも拘らず、「お前はあの子の本当の母親でもないくせに」とそれを拒絶し、少年を虐待し続け、追い詰めた父親、そして、祖母。父親は、強く反省し、少年を許し、共に生きていく覚悟を決めたと言われているけれど・・・。

少年の本当の母親は、父親の暴力と抑圧に耐えかねて離婚した。暴力があったことを父親も認めている。祖母もまた、父親を、多少手を上げながらも厳しく育てたと自ら証言している。彼らに共通しているのは、医者になるのが全ての価値であるということ、医者になるために、常に良い成績を取るのが何よりも大事であるということ。

ごく幼少の頃から、少年の隣に座って、ずっと勉強を教え続け、少しでも怠けたり、理解出来ないと殴りつけ、罵倒し、一番であることを強いてきた父親。有名進学校に合格して、親子して涙を流し喜びに浸ったものの、高校生活で、平均点程度の点数しかとれず、このままでは、京大にいけない、うっかりすると県立の医科大すら(!)行けないかもしれない、と恐慌をきたして息子を殴り続けた父親。自分が、国立の医大に入れず、私立医大出身であることに強いコンプレックスを抱き続けていた父親。

たぶん父親もまた、そのように育てられてきたのだろう。供述調書では、行き過ぎた、やりすぎたことは認めながらも、自分がこれほどまでに勉強を教え続けてきたからこそ、少年が良い成績を取れたのだと誇らしげに語っている。

成績が良いこと、高い学歴を持つこと、世間に賞賛されるような職業につくこと。それがすべてであると考える人がいる。たくさん、いる。自分が、周囲の人より優れていると常に実感することが生きる支えであり、それを保証するのが成績や学歴や職業であると考えている人。それは、他者との比較によってしか、自分の価値を認識することが出来ない人でもある。自分の価値を自分自身で認め、受け入れ、本当の意味で、自分を大切にするという成熟した自尊心を形作ることができない。

だから、自分より劣っている誰かをいつも必要とするし、そういう人を見つけて攻撃することで自分を安心させようとするし、一方では、他者の賞賛や共感をいつも求め、それを時として得られると感激する。自分は正しく素晴らしいのに、それを周囲が認めないと言う渇望感に常にさいなまれ、自分が受け入れられないのは周囲が無知でバカだからだと思い込む。

この父親は、いつも怖かったのだろう。成績が良い、良い大学にはいるという価値からはずれてしまった自分が生きていることに自信が持てなくて、わが子がそれを補完してくれることで、自分もまた生きる価値を見出せると思っていたのだろう。そこからはずれてしまったら、もう生きる価値はないと思い込んで生きていたのだろう。少年を愛しているからこそ、最も正しい道を歩ませたかったのだろう。彼は、たった一つの道しか知らなかったのだから。

少年も、少年の父親も、ひとりの人間として、その存在自体をあるがままに受け入れられ、尊重され、価値あるものとして認められたことが無い人生だったのだと思う。自分を大切に思えない人間が、他者を大事に思い、尊重することなどできるはずもない。心が育つ機会がなかったのだろう。ただ、誰かより何かが上手だもん、ということで人に褒められるのが、唯一の誇りであるような、幼児の様な精神なのだ。ああ、でも、そういう人は、たくさんいる!ほんとうに、たくさん。

供述書を流出させたことは、正しいことではないのだろうと思う。でも。作者は、法務省から、なぜ地の文に溶け込ませなかったのか、と質問を受けたと言う。そのままの引用でなければ、問題は無かったと言うことだ。それって・・・?とやっぱり思う。

いろいろな犯罪が起きるたびに、本当のことが知りたい、と思う。犯罪者の成育歴が知りたい、と思う。そこに至ってしまった理由。人間として生まれ育ったその人が、なぜそんなことをしなければならなかったかということ。どんな人にも、その人なりの尊厳があり、感情があり、思考があり、理屈があって、それに基づいてしか生きられないはず。それが、知りたい。

2008/1/15