原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識

原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識

2021年7月24日

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「原子力発電で本当に私たちが知りたい120の基礎知識」 広瀬隆  藤田祐幸 東京書籍

「大津波と原発」についての私のブログを読んだ友達が、自分も知るべきだと考えこの本を読んだと教えてくれた。私も読もうと借りてきたが、途中で何度も立ち止まってしまった。とても長い時間をかけて、やっと読み終えることができた。

何度も読むのが嫌になった。内容が悪いのではない、その逆だ。本の発行年月日を私は何度も確かめてしまった。2000年11月18日。10年以上も前に、ここに書かれていることが、現実に起こってしまった。

地震が来たら。
津波が来たら。
電源が失われたら。
冷却装置が動かなくなったら。

もし、こんなことが起きたら、こうなる、と、ひとつひとつのことが、すべて書かれている。そうならないために、この本は書かれたはずだ。10年も前に。論理的に、科学的に、冷静に、あらゆる状況を想定して、恐ろしい事故の危険性が指摘しされていたのだ!!

事故は、まさにシナリオ通りに起きてしまった。

あの事故が、想定外の出来事だなんて、誰が言える。すべてが、想定されていたではないか。あらゆる危険性がすでに指摘されていたではないか。この本の存在を、原子力発電に関わる人間すべてが知らなかったということはありえない。これを読んで、そして、それは想定外であって考慮するに当たらないと捨て去ったのだ。

あまりにも、ぴたりぴたりと書かれていることと現実が重なりすぎて、本当に読むのが嫌になってしまった。こんなに、確実に原発の危険性があらゆる方面から指摘されていたのに、唯の一つも、顧みられなかった、学ばれることがなかったという事実に、愕然としてしまった。

1999年のJCO事故についてこの本の中で触れられている。あれは、今回の事故の縮小版であった、と振り返って思う。あの時も、科学者たちは事の重要性に鈍感であり、また、危険性に気づいた時点で、住民に情報を開示し、避難させることを怠った。直ちに避難すれば避けられたであろう被爆を、住民たちは何も知らないまま、受けてしまった。あの事故に、真摯に学んでいれば、今のような状況は生まれなかったかもしれない。なぜ、あの事故は忘れ去られ、風化してしまったのか。私たち日本人は、経験に学ぶということを知らないのか。私は、悲しくてならない。

原発の抱えるあらゆる矛盾が書かれているこの本は、難しいし読みつづけるのが苦痛でさえあるが、それでも、多くの人にぜひ読んで欲しいと私は思う。毎日の生活に当たり前にあった物事が、どんな意味を持っていたのか、改めて分かってくる。震災以後、ぱったりと途絶えてしまったオール電化のCM。深夜電力による給湯というシステムがどんな事情で生まれたのか、あるいは、エコアイスという不思議な冷房システムがなぜ行われたのか。原発がエコであるというのがどんなにひどい嘘であったのか。

原発の下請け労働者の実態について、今までもいくつものルポが書かれ、映画が作られ、レポートされてきたが、それが広く知られることはなかった。最近になって、時々、メディアにそれが載る場合も出てきたが。

恐ろしいことに、現場で、最も危険な仕事をさせられている人たちは、野宿者、日雇い労働者、出稼ぎ労働者といった人びとである。仕事の内容も危険性も知らされずにバスで駆り集められ、現場の汚染をぞうきんで除染したり、床や壁面をブルーシートで覆ったりする作業に従事させられるのだ。そうやって、ある程度放射線量が低くなった時点で初めてメーカー系の下請け技術者などが修理にはいる。そうやって高い線量の中で作業を続けさせられ、体調を崩したり、怖くなって逃げ出したりして彼らはどこかへ消えていく。彼らの追跡調査は誰もしないし、どれだけ被爆して、どんな結果が出たかに、だれも責任を取らない。横浜の寿町や東京の山谷で調査すると三十人にひとり程度の割合で、原発の現場で働いたことがある人がいるという。彼らは口々に仕事の恐ろしさと体調の悪さを訴えるが、それと被爆との関連を証明してくれるものは何一つなく、医療機関もそれを考慮することはない。そうして亡くなっていった人も、たくさんいるのだ。

原発は安全だと言い続け、推進し続けてきた多くの人たちに聞きたい。
この本が、10年も前に出ていたことを知っていましたか。
ここに書かれていることを、あなたは矛盾なく否定できましたか。
そんなことは起こりえないと笑えましたか。
いま、書かれているとおりに起きてしまっていることに対して、何を感じていますか。
あなたは、それでも原発は必要だと言い続けられるのですか、と。

2011/7/8