墨攻(映画、酒見版)

墨攻(映画、酒見版)

2021年7月24日

なんと、映画まで観ちゃいました。先日、おちびが一日がかりのスケート教室に行ったので、その間に夫とバースデイ割引で映画館へ。

映画直前に、ビーフシチューとワイン少々をやっちゃったのが敗因で、前半、何度か、うとうとしてしまいました・・。でもね。うとうとする程度の映画なのよっ!!終わって、開口一番「なんだ、あれは!!」と夫婦で言い合っちゃいました、はい。
映画の脚本はジェイコブ・チャンとか言う人で、役者は全員中国人、でも小学館が資金は出してるらしい。コミックスも本も売れるからねー。人民軍の協力も得たらしくて、大軍がCGじゃなくて、本物の人間で写されていて、迫力は満点なんだけど、「人件費安いからねー」が感想になっちゃうようじゃ、ダメなのよ、映画としては。

物語の主旨も変わっちゃってるじゃないの!!ロマンスがあったし、相手役のお姉ちゃんもかわいくてよかったけど、墨者が迷ってどーすんの!・・・違う物語です、映画は。

これを観たら、ますます酒見版が読み返したくなって、大捜査網を広げても見つかんない。もういいや!ってんで、文庫版をアマゾンで注文してしまいました。あるはずなのに・・・。

というわけで、買ってしまった文庫本を読み返しました。
おお!こんなお話だったのね!
あっけに取られる終わり方、という覚えはあるのに、明確なイメージすら残っていなかった、理由もわかりました。

山本甲士の「墨攻」は、一人ひとりの人間の存在感を大事に描いていたけれど、元になった酒見版は、出来る限り感情を排除して描いてある。なんというか、漢文の書き下し文を読んでいるような、無味乾燥な味わいを敢えて出そうとしているような。

山本甲士はそれへのアンチテーゼとして、自分なりの「墨攻」が書きたかったのかもしれない。それにしても、登場人物もエピソードもほぼ同じでありながら、(いや、それも変えられている部分は多々あるけれど)人間のあり方、物語の味わいがこれほどにも違うとは!

読み返すと、私は山本版のほうが面白かった。でも、あくまでも元になったのは、酒見賢一であり、これは彼のフィクションだから、山本版は子分でしかないのかな。

どちらも、墨者の基本は押さえていて、それが出来ていないのが映画だった。となると、劇画はどうなっているのかな、と興味がわいてくる。・・・と、夫も言う。

でもでも。劇画は全11巻。また、買うの?どこに置くの?ああ、本が一列に並べられる本棚がほしい。 そんな本棚を置く家がほしい。そんな家を買うお金が・・以下略。

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2007/3/1