大津波と原発(その1)

大津波と原発(その1)

2021年7月24日

48    「大津波と原発」 内田樹☓中沢新一☓平川克美 朝日新聞出版

震災が起きた3・11から三週間ほどたった4月5日に、Ustreamで配信される番組「ラジオデイズ」でこの三人が語った内容を本にしたもの。我が家では、荻原規子さんのブログに触発されて、この本を購入した。

原発について語るには、勇気がいる。3月17日に、私は広瀬隆の「危険な話」について、ブログで書いた。以来、原発について、直接に語ることはしてこなかった。

ひとつには、原発について語ると、思いがけない余波が起きるということを経験したからだ。原発は危なくない、危機感を煽るな、パニックを起こすな、自分の影響力を考えて欲しい、などというコメントを受け取って、私は正直、困惑した。もう少し、攻撃的な内容のメールもいくつか受け取って、怖くもなった。

私の如きただのおばちゃんの発言に、世の中が煽られようとは夢にも思わない。だが、いま現実に、原発の近隣にいて、不安と恐怖を抱えている人を、私の言葉が追い詰める、ということは、あるかもしれない、と私は思った。私は、科学的に無知な人間であり、ただ、広瀬の本を遠い昔に読んで以来、原発は危ない、と考え続けてきただけである。今現在、どのようなことが起きていて、なぜ、どのように危険なのか、あるいは危険でないのかを、科学的、論理的に他者に向かって説く力はない。理論も、情報も持っていない。たとえ、ネットで様々な情報をかき集めて、自分なりに整理し、こうであろうと推察したところで、それが正しいと論陣を張るほどの知識もない。もし、私の言葉を鵜呑みにして、ともに怖い、と感じる人がいたとして、その人に、この私が、何ほどの責任が取れようか。そう思ったら、脚がすくんだ。そして、それ以降、書くことをやめた。私は、逃げたのだ。

けれど、その一方で、事故当初から、思っていた。安全だと言っているけれど、必ず、何か隠されていることがある。もっと危険なことが起きている。それは、ほんとうに怖いことに違いない。ほぼそう確信しながらも、私は何も書くことができなかった。そして、それは、まさに、現実であった。想像を越える恐ろしい事態が、実はその時から進行していたのだ。事実は、こんなに後になってから、徐々に明らかになってきた。だというのに、私は、ずっと書くことができすにいた。ただ、いろいろなことを思っていた。

たとえば、太平洋戦争の間、多くの文学者が、戦争に疑問を持ちながらもそれを言葉にすることができず、あるいは、意に反して、戦意高揚のための作品を書いていたこと。戦後、それに対して、仕方がなかった、という態度表明が多く行われ、そして、誰も責任をとろうとしなかったこと。反省が行われなかったこと。

それは、本当は危ないのではないか、怖いことが起きているのではないか、と思いながら、書かないでいる私自身と同じことだったのではないか。私のごとき、なんの影響力ももたいないただのおばちゃんでさえ、声を出すことを怖いと感じる現実。我が身の不甲斐なさに出会って、私は、戦争責任を放棄した人たちの気持ちを、身を持って感じた。

もちろん、黙っていたことへの理由はある。放射能の恐ろしさを書くことは、あるいは農産物の風評被害を拡大させることにつながり、それは、被災者の農家を追い詰めることにもなる、というためらい。どこにも逃げることができずに、現地にとどまり続けている人に、怖い怖いと書くことによって、ただ不安を増大させるだけではないかという怖れ。そして、科学的に断言できるような知識を持っていない、という根拠の薄さ。また、自分はほぼ安全だと思われる場所にのうのうと居ながら、危険にさらされている人に向かって、危ないよ、と言葉を発することの無責任さ。

しかし、それをもってしても、私は逃げているのだ、と思わずにはいられなかった。こんな僅かな場であれ、自己発表の場を持つものとして、何か、出来ることはあったのではないか、という迷い、疑問。それをずっと抱えながら、書くことができずに来た。だが、これは、全て言い訳に過ぎない戯言だ。

私は、基本として、読んだ本は全て記録するとこのブログで言っていた。であるから、この本を読んだ以上は、それについて書くべきだと思った。けれど、書くことに、気後れした。本当は、ここに記録したほかの本より前に読んでいたのに、なかなか書けなかった。

・・・ということを、最初に書くべきではないか、と私は思った。そう私が感じた、ということこそ、記録すべきかもしれない、と思ったのだ。それにより、この事故が起きたときのこの国の空気というものが、あるいは記録されるのではないか、と私は思った。というわけで、長々と、本と関係ないことを書いてしまった。でも、書きだした以上は、ちゃんと、書こうと思う。

本の内容についていは、その2にて。

2011/5/31