天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

5 中村哲 NHK出版

昨年末、夫が大阪の会合に出席した。見たいと思っていた映画がたまたまその時大阪でやっていたので、新幹線の時間を睨みながら見てきた、良かった、と言う。調べてみたら、なんと我が家のある市内の国立大学でも一日限りの上映会が行われるという。見てきたばっかりだけどなあ、でももう一度見てもいい、と夫がいうので一緒に見に行った。それが『荒野に希望の灯をともす』である。アフガニスタンで医療、用水路建設に力を尽くし、武装勢力に銃撃されて死去した中村哲医師の足跡を追ったドキュメンタリーである。

上野千鶴子が「中村哲さんのようなひとがいると思うだけで、粛然とした気持ちになれます。」と言ったことを思い出す。この人の生涯には頭が下がるばかりである。アフガニスタンで、人の嫌がるらい患者を診療し、1600本もの井戸を掘り、25キロにわたる用水路を拓く。偉ぶることも私欲に走ることもなく、当たり前のように淡々と人に尽くし、それを喜びとした。アフガニスタンで活動中に自分の小学生の息子を病で失っていたとは知らなかった。病気の子供を抱えて途方に暮れながら診療所まで長い距離を歩いてきた若い母親の心情に自らの思いをかさねる彼の言葉に胸が熱くなった。

上映会のあとで会場で売っていた本を買った。それが、本書である。映画には、外側から見る中村哲が映っていた。だが、この本には、彼の内部からあふれるものがある。それは、映画以上に抑えられた静かな言葉であり、であるからこそ余計に心に響くものであった。

医療だけでは人々を救えない、食べていくために農地が必要で、農地のためには水が必要で、水のためには井戸がいる、用水路がいる。というだけで、一介の医師が土木に乗り出し、干からびた大地を緑地に変えていく。クリスチャンであるはずの彼が、地元の共同体の礎にとイスラム教のモスクを建設し、学校マドラスを作る。人間への敬意と信頼とはそういうものである、とつくづく教えられる。

マドラスに通う子供たちは男の子ばかりであった。私はそのことが気になって、映画の感想にも書いた。女の子にも教育を。それは譲れない願いである。だが、一方で、まずは教育の場を作るところから始まるしかない。理屈だけでは割り切れないものが多々ある中で、できることをまずやっていく。相手がタリバンであろうと反タリバンであろうと、それよりも人間として敬意と尊重を払うところからすべては始まる。難しい問題だ。

長くなるが、心に残る文章を引用する。

 いま、きな臭い世界情勢、一見勇ましい論調が横行し、軍事力行使も容認しかねない風潮を眺めるにつけ、言葉を失う。平和を願う声もかすれがちである。
 しかし、アフガニスタンの実体験において、確信できることがある。武力によってこの身が守られたことはなかった。防御は必ずしも武器によらない。
 一九九二年、ダルエスサラーム診療所が銃撃されたとき、「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。戦場に身をさらした兵士なら、発砲しない方が勇気の要ることを知っている。(中略)
 そして、「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも安易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。
(引用は「天、共に在り」中村哲 より)

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