妻の大往生

妻の大往生

2021年7月24日

「妻の大往生」 永六輔

その昔「話の特集」という雑誌があって、それから、「パックインミュージック」というTBSの深夜ラジオ番組があって、「テレビファソラシド」というテレビ番組もあって。永六輔は、そのどれでも、私には、おなじみの人だった。男のおばさんと呼ばれる彼は、とんでもなくおしゃべりで、すごくいろいろな舞台や役者、芸人、舞踏家、音楽家、などの表現者を知っていて、日本中をいつも旅していて、芸術家も、市井の人も、誰でも時として宝物のような言葉をこぼすことを私に教えてくれた。世間に認められていなくても、素晴らしい芸や技術を持つ演者がいることを、教えてくれた。まだゲイの人たちが、毛虫の様に嫌われている時代に、若かったおすぎとピーコを引っ張り出してきたし、障害があったり、貧困だったり、すごく変わった存在として扱われる人も、煌く才能があることを教えてくれた。そういう存在を楽しんで見せていた。私は、それが自然で、当たり前だと思った。人はみな、それぞれに価値があると、知らず知らずに永六輔から、教えられてきた。

永六輔の奥さんが、こんなにきれいな人だとは知らなかった。彼がびっくりするくらい、無名でも素晴らしい人をよく知っていたのは、実は、奥さんが見つけてきていることが多かったなんて、知らなかった。辞書を引くより、妻に聞いたほうが早い、と永六輔はいつも言っていて、旅暮らしだけど、毎日何回も電話し、毎日はがきを書いていた。強く繋がりあっていた夫婦だったのだ。

女房は襦袢の襟とおなじ、出なくちゃおかしい、出過ぎちゃおかしい、と沢村貞子さんが結婚当初に言ったのだそうだ。それを、永正子さんはちゃんと守って生きてきた。

その正子さんが、胃がんで余命三ヶ月と聞かされ、もう打つ手がなくなったとき、永家では、夫と二人の娘で家で看取ることを選んだ。娘たちには家庭があり、仕事があり、永氏にも仕事がある。しかも、病気のことは誰にも言うな、と正子さんが望んだ中、三人は、医師と看護婦の力を借り、最後まで家族の手で、しっかりと看取ったのだ。三人とも、やせ、疲れたけれど、最後まで、笑いのある、明るい楽しい病室でいようと誓い合って、120点とは行かないけれど、99点はあげる、といわれるまで、がんばったのだ。

義父と義母を病院で看取ったことがある私には、それが、どんなにたいへんなことか、考えただけで気が遠くなる。家族三人。笑いのある病室。家族での看護。無理無理、と思ってしまう。でも、無理じゃなかった。もちろん、彼らは恵まれた環境があったのだろうけれど。でも、こういう最後の迎え方が、人間らしいってことじゃないのか、と思う。これが、夢のような、理想ではなく、当たり前の世界になりたい、なって欲しい、と思う。

大変だったけど、やり遂げたと思う、次もお願いします、と娘さんは医師と看護婦に言ったという。次の番の永六輔は、それを聞いて、横で笑っていたって。

2009/1/13