実力も運のうち 能力主義は正義か?

実力も運のうち 能力主義は正義か?

2022年1月31日

14 マイケル・サンデル 早川書房

「エルサレム〈以前〉のアイヒマン 大量虐殺者の平穏生活」ほどじゃないけれど、かなり苦闘した本。内容が固いこともあるけれど、翻訳がこなれていないのがやっぱり問題だと思う。夫に言わせると、原文で読んだほうがきっとわかりやすいぜ、だって。まあ、そこまで私の英語力があるとは思えんが、それにしても硬すぎる文章であった。

能力主義。人は人種や性別、出自によらず能力の高い者こそが成功できる。それこそが「平等」な社会である、という考え方は、本当に正しいのだろうか。というのが本書の出発点である。こうした能力主義が、実は今、エリートたちを傲慢にさせ、「敗者」との間に未曽有の分断をもたらし、新たな階級社会を作ってしまっている、という指摘は耳に痛いが重要なポイントをついている、と思う。

社会で成功し、良い地位にある人は、それは自分の努力の結果であり功績であると自らを誇りに思う。だが、それはまた、仕事に恵まれず、十分な収入を得られない人が、それが自らの努力の足りなさ、怠惰の責任であると考えることにつながる。大学の学位や優秀な成績が良い暮らしの主要ルートであり、栄誉であると考えることは労働の尊厳を傷つけ、大学に行かなかった人を貶めることにつながる。社会的、政治的問題を最も正しく解決するのは専門的な教育を受けた専門家であるとすることは民主主義を腐敗させ、一般市民の力を奪うことになる。

これらの指摘は的を射ている。高学歴者が誇りを持ち、そうでない人々が誇りを持てない状況は今日の日本にも同じようにある。さらに、サンデルは、大統領選挙におけるトランプの勝利の陰には労働者と中流階級がメリトクラシー(能力主義)の「勝者」であるエリートに対して抱くようになった憤懣があることを指摘している。同じような要素が、実は安倍政権の長期化にもある、と私は思う。

サンデルはオバマの学歴偏重主義や、ヒラリー・クリントンが自分の支持者のIQの高さを指摘し誇りたがる姿勢などを指摘し、批判している。能力主義における勝者と敗者の分断が政治に大きな影響を及ぼしているという指摘は正しい、鋭い、と私は打ちのめされた。オバマが浅黒い肌でありながら大統領になれたのは彼のたゆまぬ勉学の努力、学びの成果だっただろうから、かれが学歴能力を高く評価する気持ちはわかる。ヒラリー・クリントンは女性でありながら、優れた能力の持ち主であるがゆえに大統領候補にまでなれたのであるから、IQの高さを誇る気持ちも動機もわかる。だが、それは、労働者、中流階級の誇りを傷つけ、うっぷんを溜めさせる結果となった、という分析も非常に鋭い。

能力がある事もまた、運である。どんな仕事に就くのか、どんな学問に出会うのかも運である。だから、サンデルは、大学入学も、ある程度の成績を超えたらくじ引きでいいではないか、とまで言う。だが、本当に?例えば、日本で、共通テストで九割を超えた人の中からくじ引きで東大生を選びます、と言ったらどうなるのか?かつて都立高校は学力の平等を目指して学区制を置き、ある種のくじ引き的な入試を行っていた。その結果、都立の権威は失墜したのではなかったっけ。

問題に対する処方箋が弱いことは確かであるが、はっとさせられる指摘はいくつもある。私の心に残ったのは、マーティン・ルーサー・キング牧師のこんな言葉である

私たちの社会がもし存続できるなら、いずれ、清掃作業員に敬意を払うようになるでしょう。考えてみれば、私たちが出すごみを集める人は、医者と同じくらい大切です。なぜなら、彼が仕事をしなければ、病気が蔓延するからです。どんな労働にも尊厳があります。
(引用は「実録も運のうち』マイケル・サンデルより)

医者が尊敬され高収入を得るのは当たり前、清掃作業員は軽蔑され、貶められる。それが正しい社会の在り方だとは思えない。それから、例えば自分の持っている資金をあちらからこちらへ動かし、少ししたらまたこちらからあちらへ動かすことで大きな利益を得るような仕事・・金融で大儲けすることをすばらしいと尊重することに、私は違和感を覚えるところがある。例えば老人介護の仕事をしているエッセンシャルワーカーはもっと評価されていいし、敬意をもって扱われていいし、良い収入を得るべきではないかと思う。世の中のゆがみやいびつな敬意の在り方に、サンデルはメスを入れる。

結局の処、どうすれば皆が幸せに、自分以外の人間に妬みや怒りを感じずに、自分が十分評価され、認められ、幸せであると思いながら生きていけるようになるか、という問いがそこにはある。歴史上のあらゆる哲学者、思想家、政治家、そして普通の人々がずっと考えても考えても正解に行きあたらない、それでも少しずつ試行錯誤してきた問題が、ここで能力主義への疑問という形で提出されている。

難しい問題だ。私は頭でっかちな人間なので、能力主義こそが平等だと考えがちであった自分を見返す良い契機となったし、また、逆に認められない、評価されない一主婦として、自分の尊厳を顧みる機会にもなった本であった。