居るのはつらいよ

2021年7月24日

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「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」

 東畑開人 医学書院

この人の書くものは「野の医者は笑う」以来である。「野の医者は笑う」で、私はこの人のことをおちゃらけている、と書いてしまった。が、彼は非常に真面目で真剣な人であり、この本も、嘆き節やエッセイを装った学術書なのである。ただ、対象との距離のとり方が、自己に対する客観性を呼び、そこはかとないユーモアを醸し出すという結果を呼んでいる。「野の医者は笑う」でも、私はおちゃらけている、と言いながらこの人に感心していたし、この本では更に深い感動を持って読み終えるに至った。

ケアとセラピー。セラピーとは、心の深いところにある、自分ではどうにも制御しにくい何かとしっかり向き合うことで、自分のことを深く理解し、変わっていくことを目指すものである。それに対して、ケアとは、日常や生活に密着した援助である。セラピーが非日常的な時空間で心の深層に取り組むのに対し、ケアは、日常の様々な困りごとに対処する。いわば表層を整える作業である。

作者は、大学院で博士号を取理、臨床心理士の資格をとった。周囲はアカデミアでの仕事を勧めたが本人は臨床で仕事がしたかった。だが、就職の道は険しく、混迷の果に沖縄の病院での仕事にありついた。これは、その沖縄の病院での四年間の体験をもとにした「学術書」である。

作者がやりたかったのはセラピーの仕事であったが、現実に彼が携わったのは、多くはケアの領域であった。以下、ケアの毎日について、延々と描写が続く。毎日の当たり前の退屈な日常のように見えて、日々、事件が起こり、問題につきあたり、傷つき、変化していく。そして、それは永遠に続くような日常でもあるのだ。

「居る」ことこそがケアである、ということを作者は語る。患者さんを治す、援助する、のではなく、彼らとともにそこに居ること、日々を過ごすことこそがケアであり、そこでケアされるのは、実は患者だけでない。心理士や看護師の方もまた患者によってケアされる。という発見もある。

一見退屈でしかない日々の中に潜む様々な事件や気付きの積み重ねをこの本で読みながら、私は、長い子育ての日々を思い出す。幼い子供を育てる日々は、まさしくケアの現場である。子供を砂場に座らせて、半日、ただぼんやりとそこに「居る」時間をどれだけ私は過ごしたことか。そこでの私の仕事は、子供と一緒に遊ぶことですらない。ただ、子供が一心不乱に砂をすくい、ほり、山を作り、その合間にふと振り返る。その瞬間に、私が子供を「見ている」。そして、少しでいいから、笑いかけたりする。ただ、そのためだけに、私はそこに「居る」のである。

それは本当にごく僅かな瞬間の些細な出来事に過ぎない。けれど、振り向いた時に母親がいて、自分を見ていてくれる、困ったことが起きた時に、絶対に守ってくれる、という安心感が子供にとってどれほど重大な意味を持ち、心の支えとなるのかも私は知っている。ただそれだけのために砂場に居るということが、けれど、その一方で私にとっては退屈で、永遠に続く地獄のような時間でもあった。いつかこの日常が終わる時が来て、子供が自分の手元から巣立っていく。ということを知っていながら、それは気が遠くなるほど先の出来事にしか思えず、そんな日は来るもんかとさえ思えたりもした。

そういうことなのかもしれない、と私は読みながら思っていたのだ。ケアに携わる感覚。患者の表層的な困りごとに日々対処することで、いつの日か、患者がそのケアを必要とせず、自分で自分がケアできるようになる日を延々といつまでも待つ。ケアの現場とは、そういうものであるのかもしれない。患者にケアされる自分を発見することは、また、子を育てる中で自分自身を育て直すという感覚を持つことにも似ている、と。

(結局、私は私自身の体験に投影することでしか物事を理解しないので、そういう読み方になる。)

様々な出来事を経て、作者はこの病院を退職することとなる。「野の医者は笑う」でもそのことは書かれていたが、なぜ、やめねばならなかったのかの説明はなく、そこが釈然としなかった。だが、これを読んで、私は理解した。

ケアの現実が退屈だとか不毛だとか、そういうことではないのだ。そういった変わらぬ円環的な時間の流れのケアの現実を延々と描ききったその後に、ケアの抱えている問題、経済的な側面、制度敵問題、あるいはケアがどんなふうに依存的に人を支配していくのかという現実が、具体的事例を通じて指摘される。長い時間をかけたケアの現実のあとであるからこそ、それがとてもよくわかる。ケアのメンバーひとりひとりがくっきりと浮かび上がるからこその納得とでもいうのだろうか。そこからどう脱していくのか、何が必要なのか、治るとはどういうことか、ケアが目指すもの、セラピーが目指すものは何なのか。そういった根源的な問題に、最終的に直面していく過程が伝わってくる。だから、これはエッセイではなく学術書なのである、という意味合いが、わかってくるのである。

人の心を治すとはどういうことなのか。それは、生きるって何?みたいなベタな命題に向き合うことにつながっていく。作者は、その問題と、どうしても向き合い続けていくのだろう。そのために、居場所を探し、この本を書き、まだまだ考えていくのだろう。

「依存」ということについて何度も書いてあって、そこではっとすることが多々あったことを最後に書き添える。幼児が万能感をもって自分自身であり続けられるのは、母親に依存しているからなのだ、という説明は何度も読んだことがあったが、この本で初めてしっくり来た。親が常に自分を守り、食や住や眠りや安全が確保され、それが当たり前のものとして意識すらされない状態で、幼児は自分のあるがままに振る舞える。例えば親の期待に背くとそういった確保がされず、安全が保たれない時に、幼児は自分のありのままではなく、親の望むように振る舞うため、自分の外に正解を探し始める。依存が揺らいだときにこそ、人はありのままではいられなくなるとはそういうことである。

・・・ということが、この本のあらゆる具体的なエピソードを通じて、初めて私の中にストンと落ちたというわけであった。

多少飽きる部分はあるが、最後まで読み切ると得るところの多い本だった。面白かった。

この本をもって、図書館本が底をついた。

2020/5/4