差別はたいてい悪意のない人がする

差別はたいてい悪意のない人がする

20 キム・ジヘ 大月書店

韓国で16万部を超えるベストセラーになった本。何の悪意もなく、口をついて出た言葉が人を差別していることがある。マジョリティにとって当たり前の言葉が、マイノリティを傷つけることもある。あからさまな悪意ではない、軽い言葉が起こす差別。そこに注目し、深く掘り下げたのが本書である。

 差別をめぐる緊張には、「自分が差別する側でなければいいな」という強い欲望、ないしは希望が介在している。ほんとうに決断しなければならないのは、それにもかかわらず、世の中に存在する不平等と差別を直視する勇気を持っているかという問題である。差別に敏感にも鈍感にもなりうる自分の位置を自覚し、慣れ親しんだ発言や行動、制度がときに差別になるかもしれないという認識をもって世の中を眺めることができるだろうか。自分の目には見えなかった差別を誰かに指摘された時、防御のために否定するのではなく、謙虚な姿勢で相手の話に耳をかたむけ、自己を省みることができるだろうか。

(引用は「差別はたいてい悪意のない人がする』キム・ジヘより)

「実力も運のうち」がやり玉にあげていた能力主義に本書でもふれている。才能と能力さえあれば誰でも高い地位に上がれるのであれば、社会的地位が低いのは、最善を尽くさなかった結果であり、自己責任であると受け取れる。そうした実力主義の観点から見れば、不平等な社会構造自体には問題がなく、むしろ競争に注いだ努力に報いるために格差をつけたほうが公正であるとすらいえる。こうした能力主義は本当に正しいのか?という疑問に一章が割かれている。

私たちは本当に平等なのか?現状は正しいのか?という絶え間ない問いかけ以外に差別に対抗する方法はないのかもしれない、と思う。人は、自分が持っているものは当然だと思う傾向がある。私は、私の現状の生活を当たり前に享受し、それを人を踏みつけにした結果かどうかなど、そういえば考えもしていないではないか。

本書にハンナ・アーレントの引用が多いことにも気が付いた。「エルサレム以前のアイヒマン」もまた、ハンナ・アーレントとの対話であった。ハンナ・アーレントを再読せにゃならんなあ、と改めて思う。

それにしても、本書は韓国のベストセラーであり、日本とはまた違った状況において書かれた本だった。そこが不思議な違和感というか、異文化感があって、それをも含めて刺激的な本であった。韓国ではムスリムやイエメン人の差別が大きな問題になっているという。日本ではあまり聞かない現象である。また、アメリカとの対比で論が進むのだが、日本とは対比しないのかな、と考えて、はっとした。私たちが読む、日本の現状をレポートする本に、韓国との対比において語られたものがどれだけあったか、と気が付いたのだ。これほど近い国が、互いを知ろうとしないでアメリカを見ている。という事実にも、改めて気が付く本であった。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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