巴里の恋 石の花

巴里の恋 石の花

2021年7月24日

「林芙美子 巴里の恋」 今川英子
「石の花 林芙美子の真実」 太田治子

「林芙美子 巴里の恋」 は、資料集ですね、作品というよりは。林芙美子の巴里滞在中の小遣い帳と1932年の日記、夫への手紙が収録されていて、それに、注釈や、作者の分析が最後に付け加えられています。

私、林芙美子の下落合の家を見に行ったことがあって、それから、年末に「太鼓叩いて・・」という林芙美子が主人公の芝居を観に行って、そんなこんなで彼女のことが知りたくて、読んでみました。

林芙美子がなぜ巴里に行ったのか、巴里で誰と恋をしたのかを残された資料からあれこれ推測されてます。恋人と目された建築家の作品の題名が、林芙美子の作品の題名と同じものが多いという事実は、結構楽しい発見でした。

日記はページが切り取られている部分が何箇所かあって、そこに何が書かれていたのか、なぜ、切り取る必要があったのか、推理されてるんだけど、まあ、文学者研究といえども、いわば、下衆のかんぐりというヤツでもあるんですねえ。これがまた、それなりに面白い私も、俗っぽいおばさんなわけでして。

それにしても林芙美子って、結構年配の作家というイメージだったのに、巴里にいったのは、まだ29歳って、若いじゃん、まだケツの青い小娘じゃん、って思うのは、単に私が歳を取ったからなんでしょう。はいそうでしょう。29歳で長い長い時間かけて日本から遠くはなれて、異国の地で姿のいい男と出会ったら、そら、恋もしたくなりまんがな、と思ったりして。

そんなことを考えていたら、今度は「石の花 林芙美子の真実」に出会いました。

作者の太田治子さん、名前は知っていますが、読んだのは初めてです。「斜陽」の、ひらり、ひらりとスウプを飲むお母様のお子さんだということだけは知っていました。今となっては太宰、こっぱずかしくって、好きじゃないんですが、高校時代、読み漁ったことはあります。太宰のお子さん、というだけで、なんとなく手を出しかねていました。

太田さんの林芙美子への視線はとても暖かいです。誤解の多い、ともすれば陰口を叩かれがちな立場・・に共通するものがあるから、と書いてしまっては、ひどいのでしょうか。私は、太田さんにも、林さんにも、まっすぐな、とても良いものを感じ取ったのですが。

林芙美子は、一生、愛されることを求め続けた人なのですね。「林芙美子 巴里の恋」には、存外勝手な人間像があったのですが、この本ではもっと血肉が通った林さんに出会えます。疎まれ、あしらわれながら、人を愛し、恋してやまなかった林さんが、私にはいじらしく美しく感じられ、分かるわかる、と頷いてしまいます。

戦地に従軍記者として何度も出かけたというのに、死と隣り合わせの仕事だというのに、誰もお守りをくれなかったという話。娘が急死したというのに、朝になれば客が沢山来るから、風呂を沸かして身奇麗にしなければ、とそればかり気にかける母親。夫として、まったく妻を評価も尊敬もせず、ただただ庭仕事にいそしんでいた夫。そして、内地に妻や婚約者がいるというのに、その場限りの恋にうっかりと手を出す男たち。葬式の場で、いろいろ問題もあったけど許してやろうぜ、という文学者たち。戦地に出て行く勇気もなかったくせに、林さんが従軍記者となって現地をレポートしたというだけで、戦争協力者だと決め付けてやまなかった文学仲間。

なんだか、本当に孤独で、心から安心して愛されることを知らずに生きていた人だったのね、と胸が痛くなります。そういう林さんに、著者は寄り添い、憤慨し、援護し、温かい言葉でその一生を書き上げています。

よかった。林さん、あなたが亡くなってから、こんな風にあなたを理解し、大切に思ってくれる人がいたのですよ。同じ文学の道を歩く女性が、ちゃんとあなたを理解していたのですよ。

そんな風に、林芙美子さんに、教えてあげたくなるような、良い本でした。私も、林芙美子が、この本のおかげで、ずっと好きになりました。

2009/2/21