昭和遊女考

昭和遊女考

2021年4月28日

21 竹内智恵子 未来社

結婚した当初、私達は仙台に住んでいた。街なかにある仕事場から裏通りを通って帰ると、途中に古びた木造の建物が並ぶ道があった。二階建てで道に向かって格子があり、その隙間から、もし中に人がいたら、その姿が見えるような作りであった。

この本は、北の街の郭(くるわ)で働いていた元遊女への聞き取りが記録された本である。本を開いて最初の方に当時の郭の写真が載っていて、私は、あっと思った。これは、あのときのあの道かもしれない、と。そのころ、その場所の写真を撮ってはいないので確かではない。けれど、こんな感じだった。昔の花街かな、と当時の私は思ったものだった。急に、この本の内容がリアルなものとして立ち上がってきた。

売春防止法が成立したのは私が生まれる前のことである。が、逆に言えば、私が結婚した頃には、花街で遊女として働いた経験のある人がまだ大勢いたということだ。この本が出版されたのは1989年。その頃には、まだ花街の思い出、郭の生活について語れる人が、たくさん存命していた。これは貴重な記録である。

貧しい農村で子供が十人も十一人もいて食べるにも事欠いていると、人買いがやってきて器量のいい女の子を借金のかたに引き取り、色街に売る。借金さえ返せばまた故郷に戻れる、自分のおかげで親や兄弟を助けることができる、とその女の子はひたすら客を取る。ところがある日、親がこっそり店にやってきて、子にも会わずにさらなる借金をして帰る。子は、親が帰ったあとに、借金が更に増え、帰る日がまた遠のいたことを知らされる・・・。

田舎でただただ畑仕事をしていたような少女が、一晩に二人も三人も客を取らされるのだ。金で買われて好き放題に体を扱われる。辛抱して辛抱してやっと借金を返しても、故郷に帰ると元遊女だと村の女たちからは蔑まれ、男たちからは好色の目で見られる。結局、故郷には居づらくてまた郭(くるわ)に戻ってくる者が多かったという。それでも、生きて帰れただけまし。気鬱や病気でなくなる女性も非常に多かった。

そんな生活の中で、お金持ちの旦那に引き取られたり、ごくごくまれには嫁に行くような幸福な女性もいた。が、彼女たちは決して自分の過去を明らかにはできず、一生秘密を抱えて生きていくしかなかった。借金を返し終え、満期で店を出ていっても故郷に帰れずに、郭近くでおしるこ屋を開いたり、遣り手婆(遊女たちの世話係)として郭に残る者たちもいた。

そんな女性が、かつてはこの国に、いっぱいいたのだ。学校にも行けず、親との生活もできず、借金のかたに売られて、自分の体も自分のものではない。そんな女性が当たり前にいた時代が、つい最近まであったのだ。そんな事もあった、こんな事もあった、と語る老女の言葉一つ一つの臨場感に圧倒される。それはついこの間までの普通の日々だったのだ。

あの場所も、今は建物が取り壊され、マンションなどが建って立派な都会の街並である。遠く田舎から売られてきて身の置きどころもなく泣いた、身を売る少女たちの影などどこにもない。けれど、そんな歴史があったということを、私達は忘れてはいけないと思う。