朔が満ちる

朔が満ちる

2022年3月26日

42 窪美澄 朝日新聞出版

この作者の作品を、私は好きだったり嫌いだったりする。ということは以前にも書いた。で、この本はというと、胸に迫る、苦しい、でも読んでよかったとは思う、それにしても前半は特につらすぎた、というのが率直な感想である。

酒を飲んでは暴れて家族を傷つける父親に、主人公は十三歳の時、斧を振り下ろす。そこから逃げ出して、今は大人になっているが、罪悪感と憎しみを忘れることはできず、悪夢にうなされることもある。私がつらすぎると感じたのは、父親の暴れっぷりと、それに対する母親のあまりにも無力な態度、そして彼自身の激しい傷つきかたにある。リアルすぎて怖いのだ。

このリアル感を、読者はみな同じように受け取るのだろうか、とふと疑問を持つ。私は、虐待家庭に生まれ育ったわけではなかった。父に、煙草の火を手の甲に押し付けられたことは一度あるが。いつ激高して怒鳴り散らすかわからない父親に怯えたことは多々あるが。そんな父に何も言い返せず、ただじっと耐えるだけだった母を子供時代はかわいそうに思い、成長するにしたがって歯がゆいと思い、なぜちゃんと向き合わないのかと怒りも感じるようにはなったが。進路について親に相談できず、自分一人ですべてを決めるしかなかったが。悩み事を話せる相手など家族にいなかったが。それは、虐待だったのだろうか?DVだったのだろうか?そんなことを規定する必要はあるのだろうか?という疑問がふつふつと湧き上がる。けれど、答えは出ないし、出す意味もよくわからない。私は父に斧を振り下ろすほどの動機を持ったことはない。

作者の持つ大きなテーマは、親に対する複雑な思いと、それをどう消化していくかということと、そして自分が今度は親になりうるのか、どう生きていくのか、ということなのだと思う。これまで読んできた作品にはそうしたものがいつも込められていたし、だからこそ、私はそれらに敏感に反応して嫌いになったり好きになったりしてきたのだ。だからこそ、あまり冷静には読めない作品ばかりなのだ。そして、知りたくなる。ほかの読者は、もっと冷静に読めるのだろうか、よそ事として読むのだろうか、と。

主人公は、自分と同じ側にいると思しき女性と出会い、否応なしにかかわっていく。そして、二人で過去と向き合うことになる。ずっと避けてきた両親との再会、そして自分を心配してくれたほかの大人たちの存在にも気が付いていく。虐待サバイバーの、まさにサバイバルの物語だ。

読みながら、私は、何度も亡くなった父を思い出した。父が亡くなってから、本当は父に言いたかった言葉が宙に浮いたまま行き場を失っている、と何度も考えた。けれど、それらを言ったところで何が変わったわけでもない、とも思う。だとしても、それらが心の奥底でずっとくすぶっていることを、私はきっと忘れられないのだなあと改めて思う。それらを抱えたままで最後まで生きていくしかない。

なんてことを考えるからね。こういう本を読むのはどうなんだろう、と苦笑いしながら、でも読んじゃう私である。