歌舞伎座の怪紳士

歌舞伎座の怪紳士

99 近藤史恵 徳庵書店

半年ぶりの近藤史恵である。「これ、面白かったよ」の夫の一言で読んだ。夫と私は微妙に読書傾向が違うのだが、たまに彼が私に勧めてくる本は、たいていが当たりである。今回もそうだった。

メンタルを病んで実家暮らしの二十代後半の女性、久澄が主人公である。仕事に出る母に代わって家事をこなし、別居している姉の飼い犬をケアする毎日。そんな彼女が、離婚した父の実母である祖母、しのぶさんから頼まれごとをされる。人からもらった舞台のチケットをあげるから、代理で観劇して感想を聞かせてくれ、というのだ。筋書や舞台写真代は経費とするし、アルバイト代も別途出す。うらやましい限りだ。

何を着て行ったらいいかすら分からない、そもそも外出が久しぶりである久澄は、恐る恐る歌舞伎座に足を運ぶ。そこで小さな事件に巻き込まれ、それを助けてくれた初老の男性と知り合う。いくつもの舞台を見に行きながら、様々な人とかかわりあい、物語は展開していく。

最初に見に行ったのは「摂州合邦辻」「身替座禅」「京鹿子娘道成寺」。歌舞伎なんて小難しくて退屈だと思っていたのに、いつの間にか引き込まれ、自分の中にあるさまざまな思いが芝居とともに膨らみ、絡まっていく。その後もいくつかの歌舞伎、そしてオペラ「カルメン」やチェーホフ「かもめ」などを見、それに関わる様々な出来事が起きていく。

歌舞伎なんて…と思っていた久澄がだんだん引き込まれていく。私も歌舞伎が好きなので、それに素直に共感する。確かに歌舞伎は分かりにくいが、別にすべてを理解する必要はない。美しい役者の姿や豪華な衣装や装置、謡やお囃子をまずは味わえばいい。意外にシンプルな筋立ては、自分の日々の思いや生活そのものと必ずどこかで連動する。長い時を経て遺された演目には、人の心をとらえる核がある。それを自分なりに見つければ、もう十分すぎるくらい歌舞伎は面白い。たとえ途中で眠ってしまったとしても、心地よく寝てしまった、ということも含めて、歌舞伎には価値があるとさえ私は思う。

作品のテーマは極めて現代的である。パワハラや拒食症、パニック障害、不倫、ニート。だが、それらは遠い江戸時代に作られた歌舞伎の演目と十分に呼応する。人は変わらないものだな、とも思う。

というわけで、とても楽しい一冊ではあったのだが。だが、ところどころ、詰めが甘いな、と思う部分があったのと、文体にある種の乱れがあると感じてしまった。近藤さん、お忙しいのだろうか。余計な心配をちょっとしてしまう私であった。