玉蘭

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87 桐野夏生 文春文庫

「砂に埋もれる犬」以来の桐野夏生。旅行用に買った文庫本である。単行本は2001年刊行。

素直でまっすぐな山本文緒の後は、力強くひねくれた桐野夏生。と言ったら桐野先生は怒るだろうか。主人公の有子は30歳だから「そして私は一人になった」とほぼ同年代である。有子は東京の編集者の仕事を捨て、恋人を捨てて中国へ留学する。この設定もよく似ている。違っているのは主人公の自意識のひねくれ度合いである。恋人が自分「だけ」を見てくれないことが許せず、仕事上でも十分に認められず、地方出身者は東京出身者から大きなハンデをつけられていると考え、すべてから逃げるように上海に来た有子。そこで出会ったのは、生死も定かではない遠い昔に上海にいたという大叔父の亡霊である。

男性ばかりの日本人留学生のコミュニティの中、もっと前から上海に来ていた一人だけの女性留学生がどんな扱いを受けるかを傍観していた有子。それがセクハラなのか、自分から誘ったのかはそれぞれの立場によって意見が分かれる。ただ、女性であるがゆえに軽んじられ、利用され、打ち捨てられたことは確かである。それを知りながら、似たような状況に陥っていく有子。時に現れ、過去を生きる大叔父の質と、その恋人、浪子。現在と過去が入り乱れながら、物語は進む。

優等生だった有子が、自分と同じような人間はいくらでもいる、と気が付いてからの心の転落は、わからなくもない。似たような心理を私も知っている。だが、それはありふれた感情でもある。それに気づいた時点からどう生きていくか、が大事なのであって、逃げ出したり投げやりになったところで何も変わらない。桐野夏生の怖さは、その時点や場所で明らかになる人間の欲望や執着の強さ、醜さを描き出すところにある。それはそうなのだが、あまりにもむき出しなあり様に、少々辟易するところもある。そこからどうするの。という部分には、あまり立ち入らない。ただ、どうするの、あなたならどうする、と、ただただ突きつけられる、そういう物語なのだ。なんというか、桐野夏生、いつもながら人が悪いなー、と思ってしまう。

山本文緒で、人生っていいもんだな、と思ったのに、この作品では、人生って苦いわね、と思ってしまう。どちらも真実であるには違いない。だが、後味は・・・山本文緒のほうが、楽と言えば楽であった(笑)。