田中正造と足尾鉱毒事件を歩く

田中正造と足尾鉱毒事件を歩く

2023年4月1日

42 布川了(文) 堀内洋助(写真) 随想舎

某美術館の小口一郎展のチケットを思いがけずに貰ったので(おめでとうございます!あなたはこの展覧会の○○番目の入場者です!ってやつね。)行ってみたら、思いがけずに面白かった。出会いってあるもんだ。

小口一郎は版画家で、足尾鉱毒事件を主題とした作品を多く残している。足尾鉱毒事件は日本史の教科書にも載っているくらいだから知っていた。田中正造が明治天皇に直訴したことも知っているし、さらにいうなら「千代田区一番一号のラビリンス」で、上皇ご夫妻が、渡良瀬遊水地の資料館に展示されていたその直訴状を長い時間かけて読まれたエピソードも印象深く覚えている。だが、それでも全然知識は浅かったんだなあ。版画作品には力がこもっていて、圧倒された。

この本は、基本的にはフィールドワークに最適なガイドブックである。が、この本を通読すると、足尾鉱毒事件と田中正造の生涯についてかなり詳しく知ることができる。写真に、地図もついている。

それにしても、足尾鉱毒事件というのが、ここまで農民をないがしろにして踏みにじるひどいものであったとは知らなんだ。もちろん、銅山の繁栄のために地元に鉱毒を垂れ流し、周辺住民を苦しめたことは知っていたが、これほどまでに人々を蹂躙し、分断させ、田畑を奪い、僻地へ追いやって辛酸を舐めさせたとは。今やコウノトリの生息地としても有名でラムサール条約湿地にも登録された渡良瀬遊水地が、鉱毒をなかったものにするために無理矢理作られ、そこに居住していた人たちを遠く北海道のサロマの原野に追いやったものだったとは。

戦争中、足尾銅山では257人の強制連行された中国人、1500人の朝鮮人労働者、400人の白人捕虜が劣悪な労働環境下で働かされており、栄養失調や胃腸障害で死亡する者が続出した。そんな歴史も、私たちは忘れてはいけない。

追記(2023・4・2)

足尾銅山の経営者、古河市兵衛の妻は、鉱毒地救助演説会が神田青年館で行われ、大盛況だったその夜に神田橋畔から入水自殺をしたという。本書のこの記述を驚愕しながら読んだのだが、感想を書くにあたって、その一文をどうしても見つけらなかった。もしかして、あれは夢だったのかしらと自分の目を疑っていたら、あとから夫が見つけてくれた。さらっと事実だけが記載されていて深くは触れられていない。ネットでさらに調べてみたら、古河市兵衛は生涯に妻が三人、ほかに妾が六人いたという。その中の一人の事件ではあるが、だとしても、当時は大スキャンダルになったことと思われる。

田中正造はとても立派な人であったが、妻と暮らした月日は極めて少なく、良き家庭人ではなかったことは確かである。歴史上の様々な出来事も、女性の側の視点から見直すと、また違った姿が見えてくるのかもしれないなあと思ったりもした。