瞳さんと

瞳さんと

130 山口治子 聞き書き 中島茂信 小学館

山口瞳。十数年前に、結構はまって何冊も読んだ。日常のエッセイが多かった。「血族」では母親の実家が遊郭だったということを覚えている。

山口瞳の作品には妻が頻出する。神経を病んでいて、発作をよく起こす。手足を硬直させたり、ヒステリーを起こして家族をなじりまくったりする。一人では乗り物に乗れない、電車を怖がる、一人でいることに強い不安を持つ。なので、山口瞳はどこへ行くにも妻を帯同し、タクシー移動をする。取材旅行に一人で行くために、妻に都内のホテルを取り、いつも誰かが付き添うように手配するが、空港に迎えに来てその場で「あなたのせいよ」と言って倒れる、などなどの話を覚えている。

難儀な奥さんだなあ、と思っていた。山口瞳が亡くなった後、いったい彼女はどうしたのだろうと思っていたら、案外、平穏に生活されていたらしい。それを息子の正介氏の著作で知って意外に思ったのを覚えている。瞳氏が亡くなって、むしろ憑き物が落ちたということだろうか、と思ったりしたものだ。

この本は、そんな山口瞳氏の妻本人の話を編集者が聞き書きしたものである。正直なところ、興味本位で読んだといえる。本人側から見るとこんな感じだったのか・・・とやや拍子抜けする内容ではある。

ヒステリーを起こして家族をなじり倒したことなどは本人はすっかり記憶から抜け落ちるそうだ。実際にそんな風に迷惑をかけた話はほぼ登場していない。ただ、一人でいるのが苦手、乗り物には乗れない、ということは淡々と描かれている。

二十歳そこそこで結婚してすぐに子どもができる。それから半年もせずにまた妊娠する。当時、学生で実家に頼って暮らしていた瞳氏からは、産まないでくれ、と言われる。どうしても産みたかった。けれど、みんなに説得されて、彼女は手術を受ける。それからもう一度、同じことが起きる。彼女が精神に変調をきたしたのはその頃である。今でいうパニック症候群であろうといわれている。広場恐怖症なども併発していたようだ。

私自身が、家族の帰宅が深夜に及ぶことがとても苦手である。先に寝ていてね、と言われても、どうしても眠れない。一本連絡があれば多少気は楽だが、無事に帰宅して顔を見ないと安心できない。とはいえ、最初から泊りで出かけていて帰宅しないとわかりさえすれば特に問題はないのだが。だとしても、この人の気持ちはわからなくもない。家族に依存するというか、そばにいてほしいという気持ちが昂じて不安定になるのは理解できる。それを批判できる立場でもなかろうとも思う。あとは、そういう自分とどううまく付き合っていくか、という問題に帰結するしかない。できるだけ迷惑はかけないように、でも私に少しだけ譲歩してほしい、と願う。そんな感じだ。みんな、ごめんよ。

正介が子供のころ、ひどい睾丸炎を起こして家で転がりまわって苦しんでいても、母は車に乗れないから、と言って瞳氏が帰宅するまで病院にも連れて行かなかったという。しかもそのことを後に瞳氏にエッセイにコミカルに書かれた。そのエピソードは瞳氏のエッセイでも、正介氏の著作でも読んでいて、なんと酷い…と思ったものだが、この本でもあっさりと書かれている。どんなに自分が乗り物が怖かったのか、というエピソードとして書かれている。

それにしても、結婚してすぐに妊娠したということは、その後も同じことが起こりうることくらい想像できるだろうに、避妊もしなかったのか、瞳氏。そして二度も堕胎させた。それを申し訳なく思ってその後の人生を妻を伴って生きていったのだとは思うが、それならもっと気をつければよかったのに。それに、エッセイのなかでの妻の扱いは、相当冷酷なものだったしね。妻は、それがつらかったのではないだろうか。

家族の話は、書き手によってグラデーションが違う。迷惑をかけた側はそれに気が付いていないことが多いし、迷惑をかけられた側は驚くほどそれを引きずって生きていたりする。たとえば、私は父に多大な迷惑をかけられたが、父はそんなことは全く気が付かずに亡くなったのだから。息子の正介氏にはほかの著作もあるらしい。そちらには瞳氏亡き後、母親が亡くなるまでが描かれているらしいので、それも読んでみたくなった。難儀な家族だっただろうなあ。瞳氏も、治子さんも、正介氏もそれぞれに大変だっただろう、と思わずにはいられない。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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