石橋を

石橋を、叩くけれど、渡らない

って表現をどこかで見たんだけどさあ。
と、息子が食卓で言いました。
それって、ぼくのことだよね?

いやいや。君の場合は、

石橋を、叩き壊す妄想をして、渡らない

じゃないかね?
石橋を、叩いてみたけれど、どうも信用ならんので、今度は金槌で叩いてみて。
大丈夫だけど、心配なので、大きな石を叩きつけてみて。
それでも、心配なので、ハンマーで殴りつけてみて。
最後に、念のため、爆薬で、ちょっと突破してみて。
ほーら、壊れた。渡らなくて、よかったあ・・。
と、頭の中だけで想像して、完結してしまって、渡らない。

一方、妹のおちびは、向こう岸に渡りたい、と思った瞬間には、もう飛び出していて、水の上で、マンガのようにくるくる足を回しながら
あ、ここ、橋が無かったんだっけ。ま、いっか。ぼちゃーん。泳げばいいんだ、ほーら着いた。という、ちからわざの人で、いわば

石橋が、無くても、渡る

・・なんて話してたら、おちびが口を挟んできて

一番偉いのは、最初から向こう岸にいる人だよ。

いやいや。偉いとか、正しいとかじゃなくてだね。
おにいの場合は、臆病とも言うが、まあ、思慮深くて、先を見通す賢さがあり、
おちびの場合は、向こう見ずとも言うが、まあ、前向きで、行動力がある。
ということにしたいんだがね、母としては。

それに。向こう岸の人から見たら、こっちにいる我々が、「最初から向こうにいる人」だったりもするのだよ。

なんか釈然としない顔をしていたおちび。
それにしても、どうしてこうも両極端の兄弟なのでしょう。
足して二で割ればいいのに、という人もおりましょうが。
それでは、普通の、つまらない子になっちゃうし。
私は、このままで、十分、満足ですけどね。

2007/12/11