破れ星、流れた

破れ星、流れた

15 倉本聰 幻冬舎

皆さま、お久しぶりです。半月間ほど家を離れておりました。PCのない環境だけど、タブレットがあればブログくらい書けるかなと思ったら、やっぱり無理でした。本は何冊も読んだけど、読んだ順番も内容も老化現象でどこかへ行ってしまったかも。ずいぶん時間が経ってしまってから振り返って感想が書けるかなーと不安半分ですが、自分のためにも記録は取っておきたい。よし、頑張ろう。十冊以上ありそうだけど。

この本は、脚本家、倉本聰の自伝である。喧嘩っ早いけれど優しかった父親の想い出から始まって、倉本聰が大学生になって脚本を書き始めるまでの話。

倉本家はクリスチャンファミリーだった。戦時下をキリスト教徒として生きるのは大変だったと思う。両親は子供の立場に立てる、どこまでも優しい人たちであった。それがしみじみわかるエピソードがいくつもあって、私は心底うらやましかった。同じクリスチャンホームに育ったけれど、私の家は違ったなあ。で、そんな愛にあふれた家庭で育ったけれど、父親に似てやっぱり喧嘩っ早く育っちゃったのね、倉本聰。昔NHKと大喧嘩して、大河ドラマを途中でほっぽって逃げちゃった事件があったよなー。

倉本の東京の実家は善福寺にあって、そういえば「安らぎの郷」(老人ホームを舞台にしたテレビドラマ)に善福寺公園が登場したなあと思い出す。その辺りは私にもなじみの深い場所だ。懐かしい。東京郊外で暮らしていた子どもが集団疎開でボロボロになり、見かねた大人たちの判断で東京に戻って下町の大空襲に出会う。赤々と燃え盛る下町の空を見た。当時、私の母もその近くに住んでいたはずだ。こうした戦争体験は語り継がれねばならない、と心底思う。経験した人間の言葉には深い重みがある。

倉本聰の脚本の根底に流れるもの。彼のドラマを支えるもの。それが少しわかるような本であった。