神さまってなに?

神さまってなに?

13 森達也 河出書房新社

「14歳の世渡り術」というシリーズの中の一冊。なるほど、14歳辺りで読むにはよい本かもしれない、と思う。

宗教は難しい。私のことを言えば、日本人としてはたぶん珍しく、敬虔なクリスチャンホームに生まれ育った。敬虔、と書いたけどね、何が敬虔なんだかはよくはわからない。ただ、神さまはいつもいつも見ていて、良いことも悪いこともぜーんぶ隠せないんだよ、ということは幼い頃に叩き込まれた。だからって良い子に育ったわけじゃないが。神さまは絶対的な存在なので、決して侮ってはいけない、疑ったり貶めてはいけない、とも教えられた。子どもの私が「天にまします我らの神よ」で始まる「主の祈り」の文言を言い換えてパロディ化(という言葉も当時は知らなかったが、つまりは替え歌みたいなこと)をしたら、目の玉が飛び出るほど叱られたのを覚えている。怖かった。ただし、私が怖かったのは、神さまじゃない。怒ってる両親だった。

親とは様々な確執があって、親の後ろには神様がそびえたっていたので、私は自分が戦っているのが一体親なのか、神さまなのか判然としない時期がわりに長く続いた。でも、今ならわかるよ、私が戦っていたのは親である。神なんて存在は、私ごときが闘ってどうなる相手ではない。

結婚相手は普通の日本人だったから、その実家には仏壇があって、お彼岸にはお墓参りにも行った。お線香の火は息を吹きかけてはいけないことも、仏壇に頂き物やお水をお供えすることも、おりんを鳴らすことも、手を合わせることも、私は知らなかった。とても困った。義母に「キリスト教は、ご先祖様をやっぱり祭壇にお祀りしてあるの?」と聞かれて「いえ、キリスト教の祭壇は家にはないし、ご先祖は関係ないんです。」と答えたら驚かれた。「ご先祖関係ないって‥じゃあ、ご先祖をどこでお守りするの・・」と信じられない風に言われたのも覚えている。

まあ、そんなこんなで、宗教って難しいのだ。私はごく普通の日本人とは違う宗教観の中で育ったらしいが、そういう人も世の中には多少はいるし、それでも別に生きて行ける。最近の私は毎朝、散歩がてら近所の神社にお参りしているし、仏像をわざわざ見にいって美しいと感嘆もする。そんな私は、今や平均的な日本人みたいなものである。

何が言いたいのかというと、宗教というものと、私たちは日々の生活の中であんまり向き合うことがない。実は、いろいろな習慣の中に組み込まれている宗教的なものはたくさんあるのだけれど。結婚式はキリスト教式で挙げて、子どもが生まれればお宮参りをして、初詣にも行って、家族が亡くなればお坊さんを読んでお経をあげてもらう、みたいなことに、私たちはいちいち引っかからないし、そんなもんだと思っている。ときどき新興宗教に傾倒する人に選挙の時にお願いされて、めんどくせえな、と思ったり、カルトにはまって大金を取られる人を見て痛ましいと感じたりするくらいで。

で、神さまってなに。神さまって本当はいるの、いないの、どっちなの。神さまってどんなものなの。ということを、丁寧に調べてわかりやすく書いたのが本書である。宗教という概念、民俗宗教と世界宗教の違い、そして仏教、キリスト教、イスラム教の解説、政治と宗教がつながるとどんなことが起きるのかの歴史的な解説などなど。どれかに偏ることなく、フラットに公平に書いてある。14歳辺りで一度さらっと読んでおくと、その後の人生にはとても役に立ちそうだ。

作者は森達也。オウム真理教にかかわるドキュメンタリー映画を手掛けているので疑う向きもあるもあるかもしれないが、そういった傾きは全くない。オウムの信者たちが、まじめでやさしく誠実であったことと、彼らがやってしまったことの残虐さ、恐ろしさのどちらもよく知ってるからこそ、宗教というものの本質を冷静に見極めることができているのだと思う。

それにしても。14歳の私がこの本を読んでいるのを見たら、私の親は私を叱りつけてこの本を取り上げただろうと思う。キリスト教だけが正しい、という立場以外の本は間違っている、読むべきではない、と言われただろう。親のそういう姿勢と、私は闘っていたのだと今ならわかるし、それは決して宗教的なやり方ではないと思うけれど。