給食の食べかた

朝食にぶどうを出しました。おちびが、ぶどうを食べながら、「給食の時は、皮ごと食べちゃってるんだよ。」と、言います。
ふうん、食べても大丈夫だよね、意外においしいよね。ヨーロッパ人なんか、皮ごと食べる方が一般的みたいだし。

そういえば、この間、73歳の大学教授がシルクロードを旅するルポをテレビで見ました。年なのに、こんなハードな旅、よくやるなあと思ったら、しかも、癌の手術後だって言うので、びっくりしたのだけど、これは、本題と関係ないか。いやね、その旅の途中で、雨の少ない地域で作られたぶどうは甘くておいしい、って、農民からぶどうを貰って、食べるシーンがあったんですよ。緑色の大粒のぶどうでしたけど、確かに皮ごと食べてました、彼も。

でも、なんで給食では皮ごと食べるの?と聞くと、「いつもはこうやって食べてるでしょ」と、皮を口のところに当てて、ピュッと実を押し出して口に入れて見せます。「こうすると、おかしい、変だってみんな言うの。丁寧に、手で皮を向いてから、みんな食べてるの。でも、それじゃおいしい汁が流れちゃうから、おちびは皮ごと食べるの。」
確かにいつもの食べ方は、皮が少し口の中に入り込みますから、一度口に入れたものを吐き出すように見えなくもありません。ありませんが、そんなに見苦しい食べ方だと思わないし、多くの大人はそうやって食べているような気がします。ちがうの?

そういえば、以前も、肉料理のソースがお皿に残って、それがおいしいので、パンでふき取って食べたら「下品だ」とみんなに言われたのでやめた、という話も聞きました。おいしいものが好きな我が家は、時々、そんな高価じゃないけど、イタリアンやフレンチを食べに行くことがあります。お皿に残ったソースをパンでぬぐって食べるのは、お店ですら、よくすることです。でも、給食でそれをやると、お行儀が悪いのかしら。

おちびはおちびなりに、世間にあわせて苦労してるんだなあ、と思いつつ。学校ってそういうところがあるよなあ、と、つくづく思ってしまいました。給食の食べかたひとつにしても、正しいやり方というのがあって、みんな、それに合わせなくちゃいけない。みんな、同じことをするのが正しくて、違った方向を向いていたり、違ったやり方をすることは排除される。

私はそういうのが、とても苦手な子でした。学校に行くのが、小さいときから、いやでいやで仕方なかった。勉強が嫌いとか、お友達とうまく行かないとか、そんなことではなく、とにかく、みんなで同じことをする、みんなが同じ方向を向いていることが、居心地が悪く、たまらない気がしたのです。それでも、まだ小さい頃は、親の言うことをよく聞くいい子ではありましたから、いやだと思いながらも、文句も言わず学校に通っていましたが。

高校時代、本当にがんじがらめの、教師の言うとおりの人間でなければならないと言う押し付けの枠の厳しい学校に行ってしまって、とても辛い思いをしました。友人関係でつまづいたわけでもないし、イジメにあったわけでもない。勉強だってそれなりについては行っていたけど、学校がいやでいやで、よくサボって動物園をうろついたり、学校に行っても、教師のウラをかいて、いろんないたずらやいけないことを仕掛けたりしました。今思えば、悪い高校生だったなあ。

子どもにはそんな思いをさせたくない、と思って、息子の高校選びは、自分の行動を自分で選択できるところ、少なくとも、無理やり同じ方向を向かせてきちんとしているのがウリではないところがいいな、と思いました。おかげで、とても自由な都立に行っていて、私はうらやましく思うのですけれどね、それでも、彼は彼なりに、「人と違う」ことでの苦労がないわけではないみたいです。

おちびの様に、自分の言うことしか聞かない、やりたいことは自分で決めるタイプの子でも、学校では皆に言われると行動を変えたりするんだな、というのはちょっとした驚きでした。それがいいことか悪いことか、よくわかりませんが。でもね。そうやって、みんなが同じ方法を取らないと、何か言われてしまう場所ではあるんだな、学校って、と改めて、思い知らされるわけです。そこで何とかやっていくしかないのでしょうし、それが社会性というものかもしれませんが。

自分の流儀をすぐに押し通したくなって、それで苦労もしているけれど、いいじゃん、と思っている母としては、おちびのこれからについて、いろいろ思うところがあるのでした。人生って、子どものころから、難しい。

2007/9/14