羊は安らかに草を食み

羊は安らかに草を食み

2021年6月18日

43 宇佐美まこと 祥伝社

益恵88歳、アイ80歳、富士子77歳。俳句仲間の仲良し老女三人である。三年ほど前から益恵には認知症の症状が表れた。夫の三千男が心を込めて介護しているが、高齢の上、最近転んで負傷してしまい、また、益恵の症状も日々進んでおり、自宅でみるのが難しくなっている。良い施設が見つかったので入所することになったが、その前に益恵の思い出の地を三人で旅してきてほしい・・・と三千男に二人が頼まれるところから、物語は始まる。益恵と三千男は五十代過ぎてからの再婚であり、益恵の過去には余り触れないで今まで過ごしてきた。だが、益恵の心の中には何らかのつかえがあるようで、それを少しでも晴らしてあげたい、というのが三千男の願いである。

益恵の出した「アカシア」という句集が旅のモチーフとなる。その句集を送った古い友だちを訪ねる旅。送ろうとしてためらってやめた相手とも、できれば会わせてあげたい。二人の老女が、それぞれの事情を抱えながらも旅を企画し、同行していく。旅と並行に、益恵の詠んだ俳句が挙げられ、そこから益恵の過去のストーリーが現実と交互に描かれる。益恵は、満州からの引揚者であった。親と離れ離れになり、同年代の少女と手に手を取り助け合って壮絶な苦難の果に日本に帰ってくる。筆舌にし難い苦難の日々は、読むのがつらいほどであった。作者は団塊の世代以降の生まれである。よく調べ上げたものだなあ、とつくづく感心する。

会いたい人に会いながら、益恵の過去が徐々に明らかになっていく。句集を送ろうとためらってやめた相手が誰なのか、なぜ、もう会わないと決めたのか、もあきらかにされていく。その合間に、同行する二人のそれぞれの人生ドラマも展開していく。

非常に胸打たれたし、満州の引き上げ体験の話は、こういう事があったのだと私たちはちゃんと知っておかねばならないと思った。益恵のように、実体験者がいずれわからなくなっていったり、亡くなったりしていったとしても、この記憶を私たちは受け取り、引き継ぎ、次の世代に渡していかなければならないと思った。

だが。その一方で、結末には不満が残る。これから読む人のために多くは書かないが、そんな終わり方で良かったのだろうか、とは思う。それともうひとつ。認知症の進んだ人と旅をする、ということがどれだけ困難か、がここには描かれていない。自宅で介護ができなくなったほどの認知症患者が、こんなに穏やかに旅ができるとは到底思えない。シモの問題が何一つ出てこないことに、むしろ私は違和感を持つ。介護とは、第一にも第二にも、まずはシモ、すなわち排泄の問題ではないか。それと徘徊。目を離すと、どこかへ行ってしまう。旅先で行方不明になったら大問題だ。ずっと手をつなぎ、目を離さず、静かに、そしてどこにも糞便を撒き散らさずに目的地へ向かうことが、どれだけ困難か。認知症患者と付き合った人なら誰でも知っているはずだ。そこまで症状が進んでいないのだとしたら、そもそもが施設に入れるほどの状態ではない。それでは旅の動機が薄くなる。

・・・まあ、そんなイチャモンを付けてもしょうがないのだろうな。これは、益恵という人が、そういう人だった、というところから始まるのだから。ただ、ツメが甘いなあ、と思わずにはいられなかった。良い物語であるからこそ、そこが残念だった。