若冲

若冲

2021年7月24日

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「若冲」澤田瞳子 文藝春秋

ご存知とは思うが、若冲とは江戸時代の画家である。色鮮やかで細部まで描きこんだ絵を得意としている。今、都立美術館で若冲展をやっているので行きたいとは思っていたが、あまりの人気、混雑ぶりに怖気づいて行けないでいる。平日に行っても激混みで、人の頭ばかり見て帰ってきたと友人が言っていた。調べると、休日は入場まで一時間待ちするほどらしい。それじゃあ行ってもなあ・・・。

若冲は京都錦市場の青物問屋の若旦那で、商売そっちのけで高い顔料を買っては絵ばかり描いていた穀潰しの引きこもりである、となんとなく知ってはいた。この物語はそんな若冲の腹違いの妹の目を通して描かれた若冲の生涯である。江戸時代に八十すぎまで生きていたというから、若冲、かなりの長生きである。

若冲は、気の強い母親に跡取りとしてプレッシャーを与えられ、子をなさない嫁はいびられ、早々に自殺してしまった。以後、彼は青物問屋の仕事に背を向け、絵を描くことで亡くなった嫁と向き合い続けるのだが・・・。物語には池大雅、円山応挙、与謝蕪村などなど、江戸時代中期の高名な絵師が次々と登場する。それぞれの性格描写が興味深い。与謝蕪村は大阪毛馬の水呑み百姓の出である。表向きは出自など関係ないと言いながら、裏に回ってこっそり異郷のものを排除する京都の風習によって、嫁がせた娘が離縁されてしまう。若冲の気ままな行動は、京都の中心地の老舗の息子だということで許されているのに。この辺り、「京都ぎらい」を思い出さずにはいられない。

若冲は天明の大火で財を失った後、初めて「生活のために」絵を描き始める。米俵一俵で水墨画を描いたという。きらびやかな絵に混じって、素朴な水墨画が残されているのには、そんな事情がある。また、彼は京都石峰寺の羅漢の石仏の下絵も描いていた。先日、たまたま東京の椿山荘の庭を散策する機会があったのだが、そこで若冲下絵による石仏何体かを見た。石峰寺から運ばれてきたものらしい。素朴な優しい顔立ちの石仏であった。

「若冲」を読んだ後に、若冲展を解説するテレビ番組を見たら、とても興味深かった。画家を知ってから絵を見に行くと楽しみも増えるというものである。それにしても、若冲展、もう少し空いてくれないかなあ。

2016/5/15