裁判官の書架

裁判官の書架

2021年11月13日

97 大竹たかし 白泉社

元東京高裁の裁判長による書評集。裁判官かよ、さぞかしお堅いつまらん文章だろうよ、と思ったら大間違い。誠実で素直で丁寧な語りにすっかり感心してしまった。そして、反省させられた。

取り上げられている本は全部で二十冊。中野好夫の「アラビアのロレンス」から始まり、坂口謹一郎「君知るや名酒泡盛」などという泡盛の本、足立巻一「やちまた」杉浦明平「小説渡辺崋山」などの歴史上の人物の話、カズオ・イシグロの「日の名残り」や須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」など静かで深い本、矢野誠一「落語食譜」のような美味しいものと落語の話などが続き、それでも最後はやっぱり我妻栄「民法講義」でしめる。さすが裁判官である。

書評といっても、本の話だけに終始するわけではない。どんな状況で、どんな風にその本と出会い、読んだのか、そのとき何を感じたのかを自分の言葉で書いてある。ネタバレを恐れるわけでもなく、本の内容にもしっかり踏み込みながら、それでも軸足は読み手である自分の側にあって、その本から何を得たかが語られている。結果、どんな内容なのかもかなりわかってはしまうが、それでも読み手である作者にそこまで考えさせたその本を、私も読んでみたい、と思わずにはいられないような文章である。

裁判官といえども、書評においては素人である。いわば市井の人が自分の読んだ本を紹介したに過ぎない。ってそれ、私じゃないか、と恥ずかしくなる。深く内容に踏み込むと、ネタバレになってこれから読む人の邪魔になりそうだと躊躇し、だからと言って感じたことを黙っていたくもない。結果として、判じ物のような、よくわからない文章になりがちな私のブログである。振り返って、いやはや反省した。読書記録だからこんなものでいいわ、とやっつけている私のはるか遠くの上空に燦然と輝いている。それがこの本である。

本を読むとは、それまでのその人の経験してきたこと、考えてきたこと、そしてこれからやるべきことすべてを総動員して本の内容に立ち向かうことである。だからこそ、人それぞれに胸を打つ本は違うし、感動する場所もまた、違ってくる。私はここに感動した、ここでこれを学んだ、と書かれたその背後にある、彼のそれまでの生き方、人生が程よく語られ、なるほど、そうであったかと頷かせる。この人は、きっと職務においても誠実で、できうる限りの正義を探そうとしているのだろうと信頼できる、そんな姿勢が見えてくる。

我妻栄の「民法講義」など、私にとってはめんどくさい、あくびの出る授業の教科書に過ぎなかった。だが、その内容の深いこと、広いこと、豊かなことを、この本から知らされた。若気の至りだわ。読み直したほうがいいかも。できるだろうか、私。