迷子の自由

迷子の自由

2021年7月24日

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「迷子の自由」 星野博美 朝日新聞社

「のりたまと煙突」「コンニャク屋漂流記」の星野博美さんのフォト・エッセイ。題名がいいやね。見開き二ページ分の写真に、同量のエッセイ。写真がいい、エッセイもいい。落ち着いた良いエッセイ集だ。香港やインドや中国、そして武蔵野の空気がそのまま伝わってくるような文章だ。

私は、星野博美さんが好きだ。だけど、最近発見した彼女の「評伝 ナンシー関」の書評に、なんだか納得がいかないのだ。
ネット上に公表されているので、そこから引用する。

「ナンシーが生きていたら」という声が今も根強いことは気になった。彼女に対する賞賛の裏に隠されているのは、自分は矢面に立たず、芸能人や文化人をメッタ斬りにして溜飲(りゅういん)を下げたいというズルさだ。その身勝手な期待こそが、彼女を追い込んだのではないか。
(2012年8月6日 読売新聞)

そうだろうか。私たちは、ナンシーの文章を読んで、芸能人や文化人をメッタ斬りにして溜飲を下げたのだろうか。自分は矢面に立たないで逃げていたのだろうか。

いや、確かに矢面には立たないよな・・・。でも、私はナンシーの文章を読みながら、それが確かに自分の方にも立ち向かってくるのを感じていた。たぶん、それはナンシー自身にも突き刺さっていく言葉だったのだろう。ナンシーが、自分の書くものに、追い詰められていった、というのは真実かもしれない。しかし、ナンシーの文を読む物は、自分を安全な場所において、人をメッタ斬りにしていたのか?そうではないように、私には思えてならない。自分を振り返り、自省し、前を向く原動力にできるような、励ます力のある文章だったように思えるのだ。

2012/9/4