限りなく繊細でワイルドな森の生活

限りなく繊細でワイルドな森の生活

2021年6月14日

41 内藤 里永子 KADOKAWA

十年ほど前に、大学時代の友人を亡くした。パワフルで、何ごとにも一生懸命で、生き急いでいるような人だった。病気をしたとは聞いていたけれど、死んでしまうとは思っていなかった。私は怠け者で、目の前のことをこなすだけで時間が過ぎていくばかりの日々を送っていた。だから、いつも全力疾走のその友人に会うのが少し怖い気も、面倒な気もしていた。いつでも会えるのだから、もう少し落ち着いたら連絡を取ろう。そんなふうに考えて、放置していた。訃報が届いた時、本当とは信じられず、そんなことは忘れてしまおうかと思ったほどだ。けれど、心が落ち着かず、彼女の死を当時の仲間たちに知らせた。仲間の誰もが、彼女には強い印象を持っていた。皆の気もちが一つになって、追悼文集が出来上がった。できあがった文集を送った時、彼女の子供たちはまだ未成年の学生だった。それから十年。大人になって、もう結婚もされたそのお嬢さんからメールが届いた。彼女と懇意にしていた同級生が、私と、彼女のお嬢さんの間をつなげてくれたのだ。お嬢さんは、元気に幸せに暮らしているようだった。

人は死ぬ。でも、死んだ人の気配はどこかに残って、誰かの心のなかに生きている。それが、生きたことの意味なのかもしれない。死んでしまった友人が、その子供たちの中にも、学生時代を共に過ごした仲間の中にも、ちょっとずつ生きていて、時々顔を覗かせる。彼女のおかげで、学生時代は遠かった同級生ともいろいろな話ができた。エネルギーが強すぎた彼女のことも、やっと素直に受け止められるようになった気がする。もっと早くに気がつけばよかったなあ。時間がかかったなあ。

この本は、詩人で翻訳家の作者が六十代から七十代にかけて森の中で暮らした話である。親しい友人をなくし、自身もまた病となって、山の森の中に入った話。ここは私の柩と心に決めて過ごした日々の話。

自身と向き合い続けた日々の話なので、自己完結している。人に伝えようとしている文章ではない。読み手は遠くから文章をつなぎ合わせて、その思いを推し量るしか無い。決して読みやすい文章ではないけれど。

思いがけなく、知っている人の亡くなった話が載っていて、胸を突かれた。私の友人の同僚だった編集者の話。突然、命を波にさらわれていってしまった話。人は突然、死ぬ。改めてそれに気がついた、その数日後に、友人のお嬢さんからメールを貰ったのだった。そこに、なんのつながりもないけれど。それでも、なんだか私の心の中では繋がる話ではあったのだ。