雑誌、原発、高木仁三郎

雑誌、原発、高木仁三郎

2021年7月24日

かつて雑誌フリークだった私も、定期購読誌以外は滅多に買わなくなったが、新聞の雑誌広告は必ず読む。それだけで、読むのと同じとまでは行かないが、相当量の情報が得られるからだ。

それにしても、昨日の新聞広告は面白かった。
「いまあの人が生きていれば」という広告は「角栄なら、後藤田なら。きっと違うことをしただろう。坂本九は東北であの歌を歌う。谷啓はトランペット抱えて「ガチョーン」。筑紫哲也は原発を持ち上げてきたメディアや文化人を厳しく問うただろう。・・・」と次々並べ、最期に「横山やすしはボートで原発に乗り付ける、はずはないかー」と、オチがついていて、笑った。

「放射能マップ」と大きな文字で広告している雑誌があった。実家や姉の居住地が、ホットスポットと噂されているのが気になっていたので、買い物のついでに本屋に立ち寄ってみたら、なんと、その雑誌だけ、すごい売れ行きである。もう、二、三冊しか残っていない。一冊は立ち読み用に、ぼろぼろになって置いてある。思わず買ってしまった。

私の住んでいる地域は、ほぼ放射能の心配をしないで済んでいるはずだ。そんな場所でも、こんなに売れるのか!驚きであった。

地図を見たら、両親の住んでいる地域は、やはり大きな値が出ている。福島ほどではないが、周囲に比べたら、高い。若い甥たちのいる姉の家は、それほどではなかった。

同じ雑誌の中に、高木仁三郎氏の「偲ぶ会」で読み上げられた「最後のメッセージ」が載っていた。

残念ながら、原子力最期の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて『プルトニウム最後の日』くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。(中略)原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです

(「偲ぶ会」で読み上げられた「最後のメッセージ」より引用)

高木氏は、大学を辞職して、反原発運動を続けた。その昔、「公害原論」の授業を行っていた宇井純氏も東大をやめて沖縄に移っていった。反原発を口にする限り、大学で出世は望めないのは当たり前。この雑誌にも、放射能から子どもを守る会のお母さんたちが、大学の先生から、あまり過激なことをテレビで言うと任期を更新してもらえないので、直接しか話せない、と言われたとあった。

私が最初に原発に対する不安をネット上に書いたとき、「原発は危険ではない」と反論のメールをくれた人は、「京大や阪大の人間の東大に対するコンプレックスは想像を絶するものだ」と書いていた。東大じゃないから、コンプレックスから原発の危険を言ってるので、そんな非科学的な言質を相手にしちゃいけない、と助言してくれたのだ。私は、反原発を訴える人の文章は熟読したが、その人がどこの大学の人であるか、全く興味も関心もなかった。そういう発想もあるのか、と新鮮であった。

高木仁三郎氏が今、ご存命だったら、どうなさっただろう、と思う。オロオロしながら、いま、できることを選んで、全力で取り組まれたことだろう。この方を始めとする多くの人たちが原発の危険をこれ程に明らかにしていたのに、事故は起きてしまった。その事実に、改めて愕然と、呆然としてしまう。どんなに時間が経っても、そこから脱することができずにいる。

いま、私に出来ることは何だろう。

2011/7/5