非色

非色

88 有吉佐和子 河出書房新社

狙ったわけではないが、旅のお供に連れていった本はすべて女流作家。そして、どこか似ている物語であった。この本は、旅に出て概ね三冊目。とはいえ、途中でチェイサーのように「キングダム」をちょいちょい挟み込んでの読書であった。今回は電車に乗る時間が非常に長い旅だったので、やたらと読書のはかがいった。山本文緒、桐野夏生、そして有吉佐和子。やっぱり有吉佐和子はすごいと改めて思った。肝の座り方が尋常ではない。そして一瞬も読み手を引き離さない。この物語が33歳の時の作品であると知って驚愕した。もっと長生きしたら、どんなすさまじい物語を紡いだことだろう。なんと惜しいことだ。こんなに時間がたってからそう思ってしまった。

「緋色」は戦争花嫁がテーマである。日本に駐留した黒人アメリカ兵と結婚した女性がアメリカに渡ってどんな暮らしをしたかが描かれている。発表されたのは1964年。敗戦後1950年ごろまでに日本を出た戦争花嫁は4万人とも5万人とも言われながら、その実態についてはほとんど調査されずにいた。この作品は、そういった意味でも当時から非常に先駆的な小説だったのだが、文中に「ニグロ」「くろんぼ」などの言葉が含まれるため、それがネックとなって重版がされずに来たという。きちんと読めば、作者に差別的な意図は全くないどころか、その反対の意思表示が強くなされているとわかる。2020年、娘である有吉玉青氏の意思表示により河出書房から再版された。今読んでも、まったく古臭さのないみずみずしい物語である。そして、それはまた、差別という問題がいまだに深く世界に根付いているからでもある。本質的なものは、まったく変わっていない。そのことに改めて気づいたし、驚きもした。

進駐軍の黒人兵向けキャバレーのクロークに勤めた主人公、笑子はそこの支配人、トムと結婚する。トムは紳士的であり、青山のアパートに住み、優雅な暮らしが始まる。進駐軍の豊富な物資のおかげで生活が豊かになった実家の家族も大いに喜び、感謝するのだが、彼女が妊娠した時、当然のように堕ろせという。それに強く反発した笑子は娘を出産した。祖先にアイルランド人の血が混じっているというトムは、生まれた子がそれほど黒くないことに驚喜する。とはいえその髪は固く渦巻き、間違いなく黒人の特徴を備えていた。帰国命令が出て、トムはアメリカに帰還する。数年後、笑子は同じような境遇の戦争花嫁たちとともにニューヨークに向かう船に乗る。笑子ともう一人は色の黒い子供を連れており、一人は茶色い髪と青い目の子を、もう一人は子を連れてはいなかった。子のいない彼女が見せた夫の写真は驚くほどの美男子で、スペイン語を話すのだという。羨望の的となった彼女ではあるが、のちにニューヨークの日本料理店のメイドとして再会すると、彼女の夫はプエルトリコ人であることがわかる。当時、アメリカではプエルトリコ人は黒人よりさらに侮蔑の対象となる差別のどん底にいるひとたちなのであった。そればかりか、茶色い髪と青い目の子も、イタリア系移民の子であって、白人の中はさげすまれる対象であった。

駐留軍兵士として裕福で自信に満ちていたはずのトムは、ニューヨークでは半地下のみすぼらしい部屋に住む差別される黒人であった。看護師として夜勤勤務し、昼は疲れてひたすら眠る。笑子は生活を支えるために日本料理屋で働いた。次々と妊娠する笑子にトムはあまり黒くない子を願う。そして、間違ってもプエルトリコ人なんかと間違われてたまるか、という。ひどい差別を受けるトムが、プエルトリコ人を激しく差別する現実に笑子は出会うのだ。二人の長女、メアリーは賢い子で、働く笑子に代わって赤ん坊の世話をした。メアリーが学校で書いたという差別に関わる作文は出色の出来である。それを読んでもなお、トムは「プエルトリコ人なんか」としか言わない。そんな中、笑子は日本人エリート女性とユダヤ人学者の家でハウスメイドとなる。そこでまた、ユダヤ人や日本人の差別問題に出会っていくのである。

結局の処、問題は色ではない、と最後に笑子は気づく。色ではない、肌の色で中身を決められてたまるものか!と。次々と妊娠する笑子はまた、中絶が禁止されているアメリカの実態に苦しめられもする。女性が妊娠したら必ず生むしかないという現実がどんなに女性を縛り付けるのかも克明に描かれている。そういう点でも非常に先駆的な小説である。

有吉佐和子のすごいのは、こうした差別や女性の権利について、決して理屈や御託を並べ立てないところである。あくまでも笑子という女性の日々の生活の中で、当たり前に自然に湧き出る感情を丁寧に描き出す。それによって、読者は笑子とともに感じ、考え、差別というものと向き合うのだ。笑子が苦労しながら自分なりの考えを見つけ出すときに、読者は同じ歩幅で、同じ歩調でその場所に一緒にたどり着く。これっぽっちも頭でっかちではない。笑子の思いや願いが染みるように理解できるのである。作者の中で捏ねて捏ねて捏ねられたテーマが滑るように伝わる。これぞ作家である、と感嘆した。

さて、ここからは私事である。私は高校生の時、とある留学プログラムに応募してはどうかと父に勧められた。父が関わっていたキリスト教関連の組織が交換留学生を募集していたのだ。学校の校風になじめなくてうんざりしていた私はその話に乗った。行く先はカナダだという。応募その他は父が請け負うので、とりあえず英会話を勉強しろ、ということでしばらく教室に通ったりもした。だが、いつの間にか、その話は立ち消えとなり、私は普通に大学を受験する体制に入った。そのことについて父は何も説明しなかったし、私も聞かなかった。というのも我が家では父にうっかりしたことを聞くと、それが大騒ぎになることが多く、私はそれを忌避していたからでもある。

それから何年も経って、あれはもう私が結婚した後だったかもしれない。あの留学の話はどうなったのだ、なぜあのまんま立ち消えになったのか、と私は父に聞いた。私はもはや別の家庭を作った人間であり、それが聞ける程度には、父との距離感ができていたのだ。父の説明はこうだった。私の前に交換留学生となった牧師の娘が向こうで恋人をつくって連れ帰ってきた。それがこともあろうに黒人だったのだ、と。そんなことが起きては大変なので申請は取り下げた、というのだ。私は驚いた。それは差別ではないか、と。父は、差別だろうとなんだろうと、黒人なんかを連れてこられたら大変だ、と憤然として言った。

父は敬虔なキリスト教徒であった。信者ではない母と結婚し、熱心に母を教会に連れて行き、ついには洗礼を受けさせた人でもあった。不詳の娘である私は信者とはならなかったが、神はいつでも見給うている、悪い行いは慎みなさい、と子どものころから教え込まれてきた。人は神の前ではみな平等である、とも教えられてきたはずである。その父が、平然と言ったのだ。私はショックを受けた。その時、多少の口論はあったはずである。だが、父は立場を譲らなかったし、父という人間との論争は不可能であったので、私はただ失望し、呆れた思いだけが残った。

さて、それからまた何十年もたって、父は亡くなった。母は、80歳過ぎて生まれて初めて一人暮らしをすることとなった。母が独居する実家へ私は月に一度、新幹線に乗って泊りがけで様子を見に行く。母との会話は、暴君であった父への愚痴が中心となる。それでも晩年は優しくなったし、経済的に何の不安もない状態を残してくれた、と最後は感謝で締めくくるのが母の定番である。そんな中、私はふと立ち消えた留学話を持ち出した。あれが取り下げられたのは、牧師の娘が黒人を連れ帰ったせいだったらしい、と。

すると母はこう言ったのだ。「その牧師の娘が連れてきた恋人には私も会ったことがあるけれど、そんなに真っ黒じゃなかったのよ。」と。「多少は黒っぽいこげ茶の肌の人だったけれど、黒人というほどじゃなかったし、そんなに気に病むほどだとは思わなかったわ。」と。私は最初、母が何を言ったのかわからなかった。尋ね返す私に母は「あなたは知らないかもしれないけれど、戦後の進駐軍の黒人兵は、それはもう真っ黒な人たちがいて、手のひらだけが白くて、あとは墨を流したようだったの。黒人とはああいう人達のことを言うのであって、牧師のお嬢さんが連れてきたのは、もっと薄い色の人だったから、そんなに問題があるとは思わなかったわ。」と答えた。それはつまり、墨のように濃く真っ黒でないから構わない、と言っているのか。もし彼女が連れてきたのがもっと真っ黒な人であったら、それはやっぱり問題だと思ったのか、と問うと「それはわからないわ。だって、その人の色は薄かったのだもの。」と母は言った。自分の言った言葉に何の疑問も感じていないようだったし、なぜ私にそう問われたのかも理解していないように見えた。

その時私が感じたのは、怒りに近いものだったと思う。父と母が信じているキリスト教という宗教はいったい何なのかと思ったし、差別的な考えを持ち、それを発していることすら母は自覚していない。その事実に哀しみすら感じた。母は、わがままで自分勝手な父に、女性であるが故に振り回され続けた人であるという点では女性差別の被対象者であったし、海外に行けば黄色人種として差別的な扱いの対象ともなったはずだ。その母が、色が薄めだから問題なし、と平然と言った。その事実に私は衝撃を受けた。

それからまた半年以上たって、私は今、この文章を書いている。あの時母に感じた怒りはわずかばかり変質した。母は、結局の処、何も考えていないのだと思った。差別されるものの痛みは、差別される人間にしかわからないのではなく、差別されているはずの人間にすらわからないことがある。差別されているからこそ、自分もさらに差別を重ねるのがこの世であり、人間である。だからこそ、私たちは考えねばならない。気が付かねばならない。そして、それを言葉にし、行動せねばならない。差別するものをただ悪と断罪して否定するのではなく、自分を取り巻く差別というものを、たとえ些細なことであっても注意深く見つめ、在り方を問い、できることを探し、考える。その積み重ね以外に道はない。そんな風に思った。

この「非色」という小説は大きな力を持っている。偉そうな理想論やご立派な御託よりもはるかに心に染み入り、周囲と自分を見直し、考え直すための契機を作ってくれる。私はそのことに感動した。良い本であった。