類

2021年7月2日

49 朝井まかて 集英社

「グッドバイ」以来の朝井まかて。この作者は評伝を書く人なのかな。類というのは、森鴎外の末子のこと。鴎外には前妻の子の於菟、後添いの子の茉莉、杏奴と類がいた。類は十一歳で父を失う。

森茉莉も杏奴も類も文筆の人であって、それぞれに自分が最もパッパに愛されたと主張している、という印象があった。たぶん、森茉莉の作品からそう読み取っていたのだと思う。これを読むと三人はそんなふうに競い合うと言うよりは、ある時期までは非常に仲睦まじく支え合って行きてきた人たちのようである。それが、ある時を境に仲違いをする。

類は学業のできの悪い子であって、とりわけ算数が全く駄目だったという。あまりにできが悪いので、母親が電車の中で「死んでくれないかしら、苦しまないで。」とつぶやいたというから凄まじい。母親は美しい人ではあったが、悪妻の評判高く、それに苦しんだ人であった。息子のできの悪さで自分が悪く言われるのが耐え難かったという。

だが、鴎外の子どもたちはそれぞれにすごい。森茉莉の傍若無人っぷりは私も多少は知っている、というよりむしろそれがある種の若い女性たちの憧れになった時期があるくらいなのだが、この本を読むと流石にたまげてしまう。十七歳で嫁いだ最初の結婚では、日がな一日羽子板で遊んでいて、夕方からは銀座、日本橋と遊び歩き、芝居見物をして夜遅く帰宅して翌朝はずっと寝ていたという。夫に叱られて、家にじっとしておれと言われたので母親が杏奴と類を伴ってシュークリームを土産に訪ねていくと、それをすべて一人で平らげて客人に出すこともしない。平らげた後、女中に紅茶をもってこいと言いつけて、「何人分でしょうか」と問われて初めて「あなた達も飲む?」と聞くのだ。

最初の結婚に敗れて実家に戻り、しばらくして今度は東北大学の教授の元に先妻の子の新しい母親として嫁ぐ。ほどなく「姑がたまには東京で芝居見物しておいでというのでそちらに行く」と連絡が入るが、予定の汽車には乗っていない。仙台から反対方向に六時間乗って、着いたところが青森だったとかで、それから引き戻して翌日に到着。ところが、直後に仲人が表れ、このまま離縁であると宣言される。仙台で継子の世話をしないどころか、毎日、この町には銀座がない、三越がない、芝居小屋がない、とただただ文句を言い募り、街をうろついて全く何もしないで過ごしていたことが明らかになる。

だが、類も負けていない。学業があまりに嫌で、中学受験に失敗し、一年遅れで国士舘に入ったものの、耐えきれず中退。そのまま、何もしない高等遊民となる。何しろ、この家族は鴎外の印税と残した財産で生きていけるのだ。

一方、杏奴は子どもたちの中では最も常識的、かつ力量もあったようで、舞踊、文筆に励み、類がやることがないあまりに始めた絵を一緒に習い始めて才能を発揮、類を伴ってフランスまで留学もする。類はカバン持ちとして一緒に行くのだが、そこで初めてのびのびと日々を暮らすことを覚える。ったって、働いたりはしないのよ、ただただ絵を描いているだけ。

杏奴はパリ時代に知り合った画家と結婚し、鴎外の妻である母は亡くなり、一時は茉莉と類が鴎外の残した家にともに住むが、類三十歳の時、ついに結婚する。とは言え、遺産と印税で暮らしているだけ。茉莉はそのあたりから文才を発揮してそれなりに認められていく。

鴎外の印税がついに期限を迎え、類は妻に「働いてください」と言われる。それまで一度も働いたことのない中年男が、働くのだ。そこから、類はあれこれやってみて、ついに文筆にたどり着く。書くのは、茉莉や杏奴、それに自分。残された鴎外の子どもたちについてである。それが、杏奴と茉莉の逆鱗に触れていく・・・・。

どうにもだめな男の一生を読まされた、という気分である。もちろん、それなりに一生懸命に生きた人の話なのだろうけれど。鴎外って一体どういう人だったんだろう、と改めて思ってしまう。エリスを捨てた鴎外だものね。すばらしい人格者で頭脳明晰で誰にも信頼され頼られた人物であるらしいのだが。そして、破天荒な森茉莉に、すごい魅力を感じるところもあるのだが。それにしても。

一流の人物の子供はつらいものがあるのだなあ、と思う。杉並区の今川にアパートを持ってたっていうじゃない。あら。知ってる場所だわ、と思った。