風よあらしよ

風よあらしよ

2021年5月9日

25 村山由佳 集英社

伊藤野枝については、以前、「村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝」栗原康 岩波書店を読んだことがある。

あの本は、伊藤野枝を語ることで作者自身の思いを語っているようなところがあったが、この本は伊藤野枝自身をきっちりと描いている。野枝という若くして亡くなった女性の強さ、あふれるエネルギー、野太さが伝わる。

田舎の小学校をでて郵便局で働いていた少女が、東京の親戚に懇願の手紙を書き続け、それを読んだ近所に住む五代厚子(五代友厚の孫)が呼んでおやりよ、と助言したために、東京の上野高女に通わせてもらえることになる。入学は初年度から、と勧められたのに、猛勉強の末、四年生に転入を果たし、二年間の学生生活を送る。卒業後、アメリカで商売を営む裕福な青年との縁談があり、渡米を夢見て一度は承諾するが、今後は日本に留まると聞いて婚家から着の身着のままで飛び出し、上野高女時代の英語教師、辻潤の家に転がり込む。そのまま辻との間に子を二人為すが、アナーキスト大杉栄と出会い、妻と愛人を蹴散らして(大杉は愛人、神近市子に切りつけられて大怪我までしながら)一緒になり、五人も子を産み、関東大震災の混乱の中で憲兵、甘粕によって虐殺される。その間、平塚らいてうから「青鞜」を受け継いだり廃娼運動において娼婦に共感する立場から論争を行ったりしていた。亡くなったのは、まだ28歳という若さである。

野枝があの時、亡くなっていなかったら。ほんの僅かでも歴史は変わっていたかもしれない、とすら思う。女性運動はまた違った展開を見せたかもしれないし、大杉の無政府主義もまた、違う方向に進んでいたかもしれない。大杉が不当に逮捕された時、時の内務大臣、後藤新平に猛烈な勢いで抗議の手紙を書き、その内容に後藤が感服したというエピソードも残っている。「あなたは一国の為政者でも私よりは弱い」というこの手紙は、いま、後藤新平記念館に展示されている。

読み終えて、清々しい風が吹いたような気持ちがした。自分ひとりを信じて走り続けたすごい女性がいた、という事実に心洗われる思いでいる。