2016年の週刊文春

2016年の週刊文春

77 柳澤健 光文社

このブログで何度か書いているが、私は雑誌フリークであった。若い頃は様々な雑誌を定期的に買いあさっては読み込んでいた。往復三時間以上という通学、通勤時間であったため、手持ちの本では足りなくなることが多く、そこいらの本屋や売店でめぼしい雑誌を買っては最寄り駅まで車中で読みふけっていた。

そんな私も徐々に雑誌を買わなくなり、読まなくなっていったが、最後まで残ったのが週刊文春である。週刊文春にはほかのどんな雑誌にもない強さがあった。バラエティとスクープ力とたじろがない強さである。この本は、そんな週刊文春を作った二人の編集長、花田紀凱と新谷学の二人を負ったノンフィクションである。

私は編集長としての花田紀凱が非常に好きだったので、文春から新たに移った「マルコポーロ」で彼が「ナチのガス室はなかった」という記事を載せた時、愕然とした。そんな軽率な記事をなぜ‥?と思ったのだ。その後、彼は編集長をやめ、文春をやめ、朝日新聞社に籍を移した。新しく作った「UNO!」という雑誌を私はとりあえず読んでいた。彼の作る雑誌はやはり面白かった。だが、すぐに失速し、雑誌は廃刊になった。それ以降の花田氏を私は追っていない。驚くほど右傾化し、とてもついていけなくなったからだ。だから、この本の中ではっきりと語られた

花田さんに思想信条はない。何のこだわりもなく時代の空気に合わせられる人。つまり、根っからの雑誌編集者なんです。(引用は「2016年の週刊文春」より)

という木俣正義(編集者)の言葉に、やっぱり、と思った。結局の処、彼は、雑誌が売れればいい、が一番の人なのだ。良くも悪くも、雑誌を売るための人なのだ。

新谷学は、社長と意見の食い違いから、三か月の休職を経て、いわゆる「文春砲」を連発する編集長となった。ゲス&ベッキー事件から甘利明大臣賄賂問題、清原薬物問題、育休議員ゲス不倫、元少年A、舛添元都知事、巨人軍原一億円恐喝事件、そして森友学園問題の赤木敏夫さんの遺書など、つぎつぎと日本中を揺るがすスクープを飛ばした。

文春は、個人でネタを追う新聞記者などと違って、グループで事件を追い、絶対的に責任を編集長が負い、時間をかけて取材を重ねる。その強みがヒットにつながったことが、長い長い歴史の中で明らかになっていく。

だが、時代はもはや活字ではない。かくて文春はネットへの移行を模索しつつある。でも、いまのところ、私はネットで文春を見ようとは思わない。何が違うのだろう。売店で気軽に変えて、ぺらぺらとめくると様々なジャンルの情報が思いもよらない濃さであふれている、あの雑誌という媒体の魅力がネットには感じられないのだ。

これからメディアはどうなっていくのだろう。文春を含めて、様々な雑誌、週刊誌はすたれていくしかないのだろうか。週刊文春がこれまでどうやって作られてきたのか、その歴史を読むにつれても、これからが気になる。ついて行けるかなあ、私。