デンマーク・イタリア旅行記 1(デンマーク編)

デンマーク・イタリア旅行記 1(デンマーク編)

2024年6月1日

3月下旬から4月上旬にかけて、デンマークとイタリアを旅してきた。もう一か月経っちゃったので記憶が薄れてきたけど、何とか思い出しながら、覚書きしたいと思う。

朝早くの便だったので前日から羽田に泊まり込み、乗継便が欠便になったせいでヘルシンキにもトランジットで一泊。目的地のコペンハーゲンに到着するのに二晩かかってしまった。ヘルシンキ空港は六度目。ムーミンシリーズに登場するニョロニョロやモランたちと遭遇。ヘルシンキはうっすらと雪が降っていた。

翌朝、フィンエアーにてコペンハーゲンへ。ホテルは空港の近く、中心市街地から少し離れた場所にあり、バックギャモンというボードゲームの大会の会場でもある。ここで五日間、バックギャモンのノルディックオープンに参加する。

ホテルの立地は郊外の再開発地域なので、周囲は建築工事が行われていて少々殺風景だ。でも、少し歩くといいお散歩道もあるし「魔女の宅急便」のおソノさんの店みたいな素敵なパン屋やスーパーマーケットもある。バックギャモンの試合はたいてい午後から始まるので、午前中はあてどもなく近所を散歩する。運河にはきれいな船が浮かんでいるし、小さな港にはかわいらしい家々があったりする。ゴミ捨て場にはポップな絵がペインティングされている。そこからしばらく行くと湿地帯が広がっていて、なぜかアルパカがいたりもしてふしぎな感じ。

夫はノルディックオープンの本戦、それにいくつかのサイドイベントにも参加する。私は夫と組んだダブルスだけ。会場では、ジブラルタルスウェーデンで会った懐かしい人たちの顔が見える。やあ、久しぶりだねえ、なんてことを言ってくれるのは嬉しい。とはいえ、夫が戦っている間は、私は部屋でのんびり読書したり、ホテル内のジムで汗を流したりして、ひたすら時差ボケ解消をはかる。時差ボケは、年々辛くなっている。年齢のせいだろうなあ。

夫の本戦は不本意な成績に終わったが、二人で挑んだダブルスはラッキーなことにベスト4まで勝ち残り。そこでジブラルタルでもぶつかって負けたフランスのヴィンセント・トリスタン組に敗退。くっそー。でも、ささやかな賞金はゲットした。

負けちゃったので(出られる試合がなくなったので)コペンハーゲン市内の観光に出ることにする。24時間バス地下鉄乗り放題シティパスを入手して、ホテルからバスと地下鉄を乗り継いで、まずはニューハウンへ。運河にカラフルな家々が立ち並んでいる。

そこからアマリエンボーー宮殿へ。まだ朝早いので人がいないし、中には入れそうにもない。若くてカッコいい衛兵が立っているので写真を撮っていいかどうか聞いたら黙ってうなずいてくれる、しゃべっちゃダメなのよね、きっと。

宮殿から見えていたフレデリック教会へ行く。きれいな教会だけど、入り口が分からない。ぐるっと一周したけど、戸が全部閉まっている。もしかして、ここもまだ早すぎて入れないのかも。と思い、アマリエンボー宮殿へ戻る。と、そこで「あの・・すみません」と若い女性に声をかけられる。おお、日本語だ!聞けば彼女はしばらく京都大学に留学していたことがあるアゼルバイジャンの人だという。今はJT(日本たばこ)の関連会社で働いているそうな。彼氏が沖縄にいるなんて話もして、久しぶりに日本語が話せてうれしかったと言って去って行った。旅にはいろんな出会いがあるなー。

アマリエンボー宮殿も、まだ中には入れる時間ではなさそうなので、開館している近くのデザインミュージアムへ。ここは北欧家具や日曜工芸品、ポスターなどのデザインが見学できる。ぐるっと見て回ってから、カフェでちょっとひとやすみ。

日本の五稜郭みたいな形のカステレット要塞を通って、世界三大がっかりのひとつ、人魚姫の像へ。ここは私、二十代前半で来たことがあるけど、夫は初めて。ちっちゃくてあんまり近寄れなくて、ああ、これね、と思うだけの場所だけど、まあ、一応押さえておかなければね。

そこからゲフィオンの噴水などを横目に見ながらもと来た方面へ戻る。フレデリック教会かアマリエンボー宮殿がそろそろオープンして入れるんじゃないかという算段。すると、どうやら衛兵交代が始まるらしく、人だかりがしている。北欧の人たちって背が高いから、全然見えない。何をやっているのかぴょんぴょん飛び跳ねて見ていたら夫が「階段あるよ!」と叫んでいる。と、時すでに遅し!私は段差に着地し損ねて足を捻ってすっ転び、倒れたのであった。

周囲の観光客がびっくりしてそれぞれの言語で「だいじょうぶか?」みたいなことを言ってくれる。脚が痛い。ううう・・・。みんなが手を差し出してくれて、何とか立ち上がる、あー、やっちまった。いつも私、こうなんだ。旅先でなんだかんだと転んで負傷する。夫が「またか」という顔で支えてくれる。

歩こうとすると、足が痛む。どうしようか。夫と話し合い、ネットで調査し、近所に薬局があることを発見。そこまで足を引きずりながら歩く。薬局で私は座り込み、夫が事情を話して炎症止めの塗り薬と包帯を買ってくれる。薬を塗りたくり、包帯でがっちり固定して、とにかくホテルへ戻ろうということになる。薬局前のバス停からチボリ公園方面までバスに乗り、そこでタクシーに乗り換えてホテルへ。部屋に戻ると夫がフロントから氷をたくさんと、足を覆うための布を貰ってきてくれた。

捻挫した時は、患部を氷などでしっかり冷やして、関節を動かさないようにサポーターや包帯でしっかり固定して、患部を心臓より高い位置において安静にするのが一番。何度も経験しているから知っている私。こんなことに詳しくてどうする。

というわけで、私はそのようにした。夫は何度も氷を貰ってきてくれたし、お昼ご飯や必要なものもひとりで買ったり手に入れてきてくれた。本当によく看病してくれた。すまぬ。それからノルディックオープンが終わるまでの二日間、私は部屋で静養し、とりあえず歩けるところまで回復した。夫は、もし私が歩けなければ、空港の車いすを借りることまで考えていたという。すまぬ、本当にすまぬ。

ここまでがコペンハーゲンでのノルディックオープン参加のお話。って、途中から私の捻挫の話になっちゃったんだけどね。ギャモンが終わったら、私たちはイタリアに飛んで、さあ、イタリア旅行が始まる。波乱の幕開けだあ。

デンマーク・イタリア旅行記2(ローマ篇1)→