らんたん

らんたん

60柚木麻子 小学館

正直言って、感想を書くのが難しい本である。主人公は恵泉女学園を創設した河井道と一色ゆりという二人の女性である。恵泉女学園ができるまでとその後の歩みを中心として、この二人の関わったありとあらゆる歴史上の人物が登場する。新渡戸稲造、伊藤博文、津田梅子、大山捨松、広岡朝子、平塚雷鳥、伊藤野枝、神近市子、市川房江、山川菊枝、有島一郎、野口英世、徳富蘆花、太宰治、石井桃子、ロックフェラー一族、村岡花子、ヴァイニング夫人・・・・。あまりに詰め込みすぎて、どうなの、これって?と思ったら、最後に「この物語は史実に基づくフィクションです」とあった。そうだよね。こんなに都合よく次々と有名人と渡り合って物事が進むわけがないから。と考えてから、そう思ってしまったのは、つまり、この物語の中で起きる出来事にリアリティがないからだ、と気が付いた。どんどん物語は展開するが、一つ一つに説得力が薄く、人物が浮かび上がってこない。何か一人一人がとても軽い存在なのだ。

テーマはシスターフッドである。「BUTTER」「ナイルパーチの女子会」でも同じようなテーマが扱われていたから、作者にとってはとても大事な問題なのであるとわかる。女性同士が手に手を取り合い、助け合って物事を成し遂げていくこと、ともに生きていくことの大事さ、美しさを言いたいのだ。それは、とてもわかるし、私も同じようなことを考える。

よく、「女性の敵は女性だ」とか「女性には特有の陰険さがある」などという人がいる。そういう言葉を見ると私は悲しくなる。いわゆるミソジニーだ。そういう人は自分が女性であることをどう思っているのだろう。自分だけは陰険ではない、男っぽい女なのである、とでも思っているのか、それとも自分もそういう陰険な女性の一人である、と自己否定しているのか。いずれにせよ、男であれ女であれ、人は人の敵になることもあるし、陰険な態度をとることもあるが、それは女性特有のことではない。男性に陰険に扱われたことがない人は、それほどの利害関係の対立を男性との間に経験しなかっただけだし、男性が敵にならなかった人は、敵になるほどの状況に立ったことがないだけだ。女が特にだめだ、という発言を私は否定したい。

実際に私は学生時代も、仕事の上でも、子供を育てるうえでも、女性の友達にとても助けられて生きてきた。いまも、良い友達に恵まれていることに心から感謝する。同じような問題に出会ったとき、女性同士で助け合うことは当たり前だったし、自分一人が恵まれるのではなく、皆で少しでも良い方向に行きたいと願ったものだ。もちろん、女性から陰湿な態度を取られたこともあるけれど、男性からだって同じような目にあわされたことは多々あるから、女性特有だとは全く思わない。対等な立場に立つ、自分の利害にかかわる女性に対して、男性は結構な陰険さを発動することがあることも経験上知ってるから、女性の敵は女性だけじゃない。

繰り返しになるが、作者は、女性の友情をとても大事に思い、その観点から物語を描いていることはよくわかるし、それは伝わってくる。だが、人物の書き込みが薄くて、一人ひとりの個性が伝わらないし、何よりその人を好きだと思うには至らない。出てくる人がみんな同じ顔をしているかのように感じてしまう。作者の志がわかるからこそ、それはより残念なことだった。