41 坂 茂 岩波書店
少し前、某大学で行われた坂茂の講演会を聞きに行った。建築好きの夫に誘われて、何の気なしに行ったのだが、思いのほか刺激的で非常に興味深い講演であり、感動すらしてしまった。坂氏の、建築を通して社会に貢献しようというまっすぐな情熱に胸打たれた。大学生主催の講演会だったため、会場は建築学科の学生が多く、最後に設けられた質疑応答の時間には若い人たちとのみずみずしい対話が聞けた。経験の浅い、語彙の乏しい学生たちの質問に真正面から向き合い、意図を汲み取り、彼らの熱意を励まし、成長を願う姿は素晴らしかった。
講演に行ってみようと思ったのは、彼がニュージーランドに建てた紙の教会のことをテレビで見て知っていたからだ。震災でカテドラルが倒壊したので、紙製の仮設教会を建設したと聞いて驚いたのを覚えている。紙なんかで作って、いったい強度はどうなっているのだ、火災にはどう対応するのか、雨が降っても大丈夫か、などと疑ったのも覚えている。だが、この仮設大聖堂はクライストチャーチの新たな観光名所となり、世界中から多くの人が見学に来るほどになったという。
講演で初めて知ったのだが、坂氏が建てた紙の建築はニュージーランドのカテドラルだけではなかった。阪神淡路大震災において紙の仮設住宅や教会の集会所なども先んじて作られていたのである。
何も彼は紙の建築物が作りたいと最初に思ったわけではない。過去に、アアルトの展覧会の企画において、限られた予算内で会場設営をしたくて目にとまったのが、別の展覧会で使った布製スクリーンが巻いてあった紙管であったという。紙なら企画終了後に撤去するのも楽だし、ローコストで自由な長さ、厚み、径の紙管が作れる。しかも、使ってみると思った以上の強度があるとわかった。「紙は進化した木である」という言葉は、確かに、と思わせる説得力を持っている。
そんな彼は被災地や難民キャンプでのボランティア活動に積極的にかかわっていく。紙の仮設住宅は安くて誰にでも組み立てられ、夏冬の耐熱性能も有している。しかも必要なときに必要なだけ制作することが可能なため、万が一のための備蓄の場所も必要ない。国連難民高等弁務官事務所UNHCRでも、紙のシェルターが導入されるに至った。
また、体育館などの緊急避難所においてもプライバシーが全くない状態を避けるため、間仕切りをを提案した。ところが、役所などでは、間仕切りがあって各自が何をやっているのか見えないと管理しづらい、前例がないなどと却下され続けたという。とある避難所で、人員不足のため、役人ではなく学校の教師が管理主任をしている避難所があって、そこで導入が認められたのが最初である。早速、間仕切りを設置したところ、避難者たちに非常に評判がよく、そこからほかの場所でも取り入れられるようになった。前例主義の日本ならではのエピソードである。
ほかにも様々な仕事をしている坂氏であるが、基本として、ボランティアは自分のためにやるものである、と語っている。実際に活動するうえで様々な誤解や見当違いな非難にさらされながらも続けてきた彼ならではの言葉の重みを感じる。
紙という素材は建築構造物としては過去に事例がないため、建築許可を得るためには様々な強度確認の実験が必要となる。しかも、日本の法律はたとえ実験で強度が確認されてもなお、認められないものもあり、かつ、紙や木の建材、パーツの加工技術も今や世界的に遅れを取っている。前例に縛られた硬直した実態が日本にはある。学生たちは、それをどうしたら克服できるかと熱心に質問する。坂氏の答えは明確である。世界に出ろ、と。世界中の様々な良い建築物を見て回って、何が本当に良いものかを見極めろ、と。役人たちだって意地悪で不許可を出しているわけではない、彼らも知らないのだ、と。だから、若い人たちはたくさん世界に出て行って、もっと広い目を持ち、新しいものを吸収するべきだ、と。確かにそうだよなあ、と深く頷いてしまった。
と、講演のことばかり書いたが、この本には、講演で彼が語ったことやそれ以上のことが多くの写真もついて載っている。坂茂という類まれなる才能を持った建築家を知り、世界を知ることができる良書であると思う。建築家を目指す若い人たちはもちろん、これからどう生きていくかもわからない若い人たちが読むととても刺激になる本なので、大学生、高校生にお勧めだなあ。あ、大人も読んでね。