テレビマン伊丹十三の冒険

テレビマン伊丹十三の冒険

50 今野勉 東京大学出版会

著者はテレビ番組制作会社「テレビマンユニオン」の創設者の一人である。テレビ局が番組制作を行うことがほとんどであった時代において、初めて独立したテレビ制作会社を設立した人である。その会社は、余計なことに縛られずにテレビの可能性を広げ、スタッフが対等に自由に横一線となって制作に携わることを目指していた。テレビマンユニオンのスタッフの多くは雑誌「話の特集」とのかかわりがあって、その雑誌を最後までずっと読み続けていた私には、ちょっと遠い親戚みたいな親しみがある会社でもあった。

伊丹十三は、デザイナーであり俳優であり、エッセイストであったが、ある時期、テレビマンユニオンに関わり、その番組に出演し、アイディアを出したりナレーションを自分で書いたりもした。そこでの彼の活動は、とても自由で何ものにも縛られない発想があり、そして、それをとても楽しんでいたようだ。ある意味、映画よりもテレビにおいて伊丹十三は自由であった、ということがこの本では語られている。

しかし、今野さんはあんまり文章がお上手じゃない。とても読みにくい本だ。テレビ番組の内容を文章で書き表すのが困難なのはわかるが、それにしてもわかりにくい。私は2019年に伊丹十三記念館に行って、そこでいくつものビデオ映像を見てきたのでわかったが、見たことのない人にはよくわからないだろうなあと思う。

伊丹十三が映画に携わるようになったのは、父、伊丹万作への思いがあるはずだという指摘は当たっていると思う。伊丹十三の父は「無法松の一生」の脚本を書いた。伊丹十三は、この映画を見て「これは父の私にあてた手紙であった」と思うに至ったという。気が弱く、意思が弱く、愚図でハキハキせず、注意力散漫な息子に男らしさを教える松五郎という男を描いた映画を見て、彼はそう思ったのだという。

今野さんは、伊丹十三は映画でも子供の教育でも父を超えていると自負しつつも仕事の面で父に追い付いていないと自覚していたと書いている。でも、そうなんだろうか。伊丹十三の息子たちが父親について結構否定的な発言をしているのを私は見ている。映画についても、伊丹十三は何らかの行き詰まりを感じていたからこそ、あんな結末があったのではないか。だとしたら、彼と父親との関係性は、今野さんが書くほど簡単なものではなかったのではないか。だとしても、今更何もわからないし、わかったところで意味はないのだけれど。

読み終えて、結局、私の知りたいことはあんまり手に入らなかったような気がした。だとしても、これを読むことで、伊丹十三のテレビの世界での姿を見ることができたのは収穫であった。