伊丹十三記念館ガイドブック

伊丹十三記念館ガイドブック

2021年7月24日

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「伊丹十三記念館ガイドブック」伊丹十三記念館

昨年11月に、伊丹十三記念館に行った。その時に買ったのが、この本である。内容は、記念館の展示物の解説だが、472ページに及ぶ分厚い文庫本である。伊丹十三を形作る十二の要素と、その結果としての映画監督業について、丁寧に解説してある。

巻末には詳しい年譜も載っているのだが、最後は「死亡」となっていて、自死したとは書いていない。本全体を見渡すと、わずかに岸田秀氏だけが自死について触れているのみである。そこには、こう書かれている。

ある対談で彼はいきなり子供の自殺を持ち出し、自殺する子供は自分の世界の中心ではなく、端っこの方にいる子供であって、端っこのほうにいるものだから、他の子供なら、そんなことでは自殺しないようなちょっとしたことで自分の世界から落っこちてしまい、自殺することになってしまうのではないか、と言い始め、それから我々のあいだで、では、なぜ自殺する子供は世界の端っこのほうにいるのかが議論になリ、親に育てられるときの親子関係が問題になったことがある。我々は一般論として議論したが、今から思うと、伊丹さんが精神分析、特に私の理論に興味を持ったのは、彼の親子関係の問題が背景にあり、彼は自分の世界の中心にはいなかった人であったかもしれない。彼の凝り性などは世界から落っこちまいとする努力だったかもしれない。しかし、どういうわけか、彼は自分の世界から落っこちてしまった。
           (引用は「伊丹十三記念館ガイドブック」より)

伊丹十三の著作をたくさん読んできたが、彼の書くものの中に、父、伊丹万作は多々登場するものの、そういえば母親が登場したのを読んだ覚えがない。母親との関係性があどうであったかは、ついにわからないままである。それから、年譜を注意深く読んでみると、京都の高校に入学後、松山の高校に転校、学校を休みがちになったり、休校したりを繰り返し、松山でもう一度高校を変わったりしている。いわゆる不登校のような状態にあったのか、それとも健康上の理由があったのかは記されていない。そして、大阪大学の受験に失敗してすぐに上京し、商業デザイナーの道を歩みだしている。彼ほどの博識多彩な人間が、大学に行って勉強を続けようとしなかったのは、経済的な理由によるものなのか、それとも他に事情があったのか、定かではない。あとは私のゲスの勘ぐりでしかないのだが、伊丹さんは、もしかしたら、母親の元を出て、早く自立したいという思いがあったのではないか、そこには何らかの確執のようなものがあったのではないか、とも考えられるのだが・・・。

なぜ伊丹十三が自死せねばならなかったのか、を私は知りたいと思うのだが、宮本信子は、ラジオではっきりと「お墓まで持っていく。何も言うつもりはない」と述べている。それは宮本さんの伊丹氏への深い愛から発された言葉であり、誰もそれを止めることはできない。それを知りたいと願うのは、ただ単なるゲスの好奇心に過ぎないと言われればそれまでなのだが。だが、それでも、伊丹十三という偉大な人物のすべてを知りたい、と思わずにはいられない気持ちもある。彼のような優れた人物が超えられなかったもの。それを知ることで、私達が今を生きる力を得ることはないのだろうか、と。ま、それも繰り言に過ぎないのだが。

この本を読んで、まだ見ていない伊丹映画が何本もあることに気がついた。この自粛生活のあいだに何本か見てみてもいいかな、と思っている。

2020/5/4