疾走中国

疾走中国

2021年7月24日

52
「疾走中国」 ピーター・ヘスラー 白水社

中国という国は難しい。政治的に、領土問題や戦争責任問題では日本と対立し、互いに嫌いあう姿勢がある一方で、ビジネスパートナーとしては強い結びつきがある。百均や安価な衣類店は中国なしには成り立たないし、私たちは中華料理が大好きだったりもする。中国人による不動産購入に警戒する一方で、中国観光客の誘致に熱心な観光地もあるし、かと思うと、そのお行儀の悪さに眉をひそめる人もいる。

中国は、近くて遠い国だ。私たちは、いったい、中国の何を知っているのだろう。

この本は、アメリカのジャーナリストが十年近く中国に住んだ経験が書かれている。第一章は万里の長城に沿って北西部辺境をドライブして回る話、第二章では北京郊外の農村にセカンドハウスを購入し、そこで暮らした話。第三部は新興工業都市の変貌を追う話。その場に長く滞在し、生活するからこそわかることがたくさん書かれている。

中国のドライブ事情のとんでもなさはよく言われている。無茶苦茶なスピード、鳴り響くクラクション、前方に車が見えればとりあえず追い抜きにかかり、抜きつ抜かれつのカーチェイスが始まる・・・。それは中国人の国民性の現れかと思っていた。いや、確かに国民性でもあるのだが、実は、自動車教習所のテキストが、それを教えていたのだと知って、私は愕然とした。中国の教習所は、ドアミラーもサイドミラーも見ることを教えない。死角があることも教えない。ウインカーを出すという風習(?)を教えない。バックするときは、何故か絶対に後ろを向いてはいけない、と教えられる。なぜなら、そのほうが難しいからだ、という説明に著者は絶句する。より難しいことに挑むことで人は向上する、という信仰が中国にはあるらしい。ウインカーやミラーの代わりになるものは、クラクションである。運転する人は、すべてにクラクションで対応する。だから、あんなにいつも鳴っているのだ。

辺境部では緑化政策が進んでいる。地域の共産党員や役人は、それがどんなにうまく行っているか、地域を振興し向上させているかを胸を張って説明し、現地の人々は、それがどんなに無意味で役に立たず、自分たちを困らせているかを語る。上に立つものと、庶民との乖離はどこに行っても、ある。やれやれ。と読んでいて私は思うのだが、では、日本ではそうではないといえるのか?と思い当たって、うなだれる。

農村での生活を描いた二章が、私は最も面白かった。まさに中国の普通の農村の生活が地道に描かれていて、良いところも悪いところもひしひしと伝わってくる。中国は、人が多すぎて、それは大きな問題である。ということが、どれだけ国民に強く浸透しているのかがわかる。彼らは、大きな事故があって沢山の人が死んだ時、それを悼む一方で、「でも、国のためには良かったのかもしれない」と当たり前のように口にする。「これでまた人口が減ったから」と。アメリカは、人口が少ないから、少しでも多くの人が死ぬようなことがあると、大騒ぎになるらしいね、と著者は言われる。中国は人口が多いから、そんなことは大した問題にはならない、とほとんど誇りを持って、言われるのだ。

少子化政策と農村の空洞化で、その村には子どもがたった一人しかいない。その子どもが原因不明の病気になった時、著者はアメリカにネットで問い合わせて治療方針に口を出す。それは、医師との対立にもつながるが、結果として子どもを救うことにつながっていく。その子の両親は、子どもの生命の危機に対してとても冷静だ。もちろん、愛情を持ち、心配もしているが、その一方で、生命の危機は、彼らにとってとても身近なものであり、そんなことには慣れているのだ、と著者は書く。よくも悪くも、それが中国なのだ。

人口が多いこと、それゆえに教育が行き届かないことは中国の大きな大きな問題であると、よくわかる。契約は意味をなさず、最も力を持つのはコネであり、どんなタバコを吸っているか、どうタバコをやり取りするかである、という記述に、私は驚いた。タバコ。それは、コネや権力のある種の象徴なのだ。

第三部の新興工業都市のルポは、そのコネと権力を巧みに使いながら、様々な危ない橋を渡りつつ成長していく工場のオーナーと従業員が中心に描かれている。人々はなんとたくましいのだろう、と思う。無茶苦茶なことはたくさんあるけれど、驚くほどタフで冷静ですべてを受け入れ乗り越えていく彼らの姿には感動を覚えてしまう。

政治と、人々の生活は乖離しているが、確実に支配影響もされている。人々は巧みにその垣間を縫って、やりたいことを成し遂げようとしている。その一人ひとりに、私は圧倒され、かなわないと感じるところがある。人間のあからさまな強さを感じてしまう。

中国は、大変だ。これだけの多くの人達がいて、それぞれに違う方向を向いているのに、ひとつの国にまとめるために、そりゃあいろいろなデタラメが行われるのだなあ、と変なところで納得もしてしまう。だからといって、それが良いとか正しいとかは言わないよ。言わないけれど、じゃあ、日本はデタラメじゃないのか、無茶苦茶じゃないのか、と結局、私はそこに立ち戻ってしまう。日本だって、大変だ。もっともっと、大変かもしれない。

とても厚い本だった。細かい活字で300字、それが400ページ近く。何度も挫折しそうになったけれど、読んでよかった、と思う。中国という国を、客観的に知るにはもってこいの本かもしれない。

2012/6/30