アジア新聞屋台村

アジア新聞屋台村

2021年7月24日

読み本が無い、と嘆いている夫に、高野さんの新作をゲットしてきたから、読んでもいいよ、と、太っ腹なツマゴコロを見せてあげたつもりが、鼻の先で、ふん、と笑われて、「これ、前に読んだぜ。ってか、うちにある本かも。人の事は笑えませんな!」ですと。夫がよく既読本を買ったり借りたするのを私がよく指摘するため、ここぞとばかりにふんぞり返って言われたけれど。いえ。私、読んでません。もしかして、単身赴任中に向こうで読んだんじゃないの?

なんて、軽い夫婦喧嘩もスパイスになりつつ。

高野さんは、いつだって、面白い。学生時代、アフリカの謎の幻獣ムベンベを探しに行った頃から、ずっと、贔屓にしている。人が行かないところ、人がやらないことばかり、高野さんは追い続ける。だから、飽きない。

これは、小説らしいのだけれど、限りなくノンフィクションに近いとお見受けする。高田の馬場にある、アジア系月刊新聞社で働いた日々をつづった物語。社名が「エイリアン」かと思ったら「エイジアン」だった、なんてお笑いもどきの出発点から。

タイだ韓国だ台湾だミャンマーだとさまざまな国の情報新聞を発刊しているのだけれど、編集者として機能している人など誰もいなく、記事もいい加減の寄せ集め、活字の大きさもレイアウトもむちゃくちゃ、編集長と言う者も存在しない、わけのわからない混沌とした世界。

働く人も、どんどん入れ替わっていくのに、絶対に、引継ぎと言うものをしない、経理もいい加減で、源泉徴収が何パーセントなのかも、誰も知らない。タイ人にインタビューする予定が、カンボジア人が来るといわれ、仕方ないので、カンボジアのつもりで準備すると、ラオス人が来る。そして、何のために来たのか、本人も知らなかったりする。

12月号のはずなのに、11月号の表示のままで出してしまったり、もういなくなったスタッフ名が何年たっても載っていたり、高野さんの名前が「高橋」のままで表示されていたりする・・・のは、他の雑誌や新聞なら、大問題だが、ここでは、ミスにも入らない程度の些細な出来事に過ぎなくなる。

そんな会社で、なんとか形を作ろうと孤軍奮闘する高野さん。でも、気づくのだ。そうやって、まともにしていこうとすればするほど、その会社は、まるで「日本のごく普通のまともな会社」に近づいていく。いや、結局は、近づくことなく、元に戻ってしまうのだが、彼が最も嫌ったはずの日本の普通のあり方に、近づこう、近づこうとしている自分に、彼は気づくのだ。(でも、高野さんだから、結局、出来ない。)

そんなこんなで過ごした何年かのお話は、普通の会社から見たらとんでもないけれど、日本の中に、そんな場所、そんな空間、そんな時間があったということが、とんでもなく面白く新鮮にも思える、面白いものだった。

高野さんの、冒険家の癖に、女性に対しては、まるで中学生のようにむちゃくちゃオクテなところも、かわいかったわ。

2009/5/29