強父論

強父論

2021年7月24日

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「強父論」阿川佐和子 文藝春秋

 

阿川弘之が亡くなって四十九日を過ぎたら、父親について書けと依頼が来たという。たぶんそう来るだろうと思っていた、と阿川佐和子は淡々と書いている。阿川佐和子、おばちゃんなのに賢くて冷静で、素晴らしい文才があって、でも、どこか古風なところもあれば、すっとぼけたところもある。そんな彼女がどのように作られたか、が父親を通してなんとなく理解できる、そういう本であった。
 
第一章『立派な老衰』で阿川弘之が亡くなるまでの経過が書かれている。ベッドから落ちて大腿骨を骨折し、入院中に誤嚥性肺炎を起こし、その間、妻は関節を痛めて入院する‥‥‥・全く同じような経過が我が家にもある。うちはまだ現在進行形だが、あまりに同じ過ぎて笑ってしまう。しかも、横暴で傍若無人で人の気持ちを斟酌しない父親、というところまでそっくりだ。結果、娘の気が強くなってしまったのも同じか。
 
誕生日プレゼントに何がほしい、と聞かれて言いよどんでいたら、うまいものでも食わせてやる、それがプレゼントだ、と言われ、それって自分が美味しいものを食べたいだけなんじゃ‥・・と密かに思いながら、レストランで食事をし、外に出たらものすごく寒かったので「寒い」と言ったら怒りに火がついた。せっかく誕生日にうまいものを食わせてやったのに、「お父さん、おいしいものをありがとうございました」と言いもせずに「寒い」とは何事だ、と。そこから駐車場に行き、車の仲、そして家に帰っても延々と怒りは続き、ただただ怒鳴り散らされた‥・・のが、幼稚園児のころだという。
 
執筆中、お前たちの「気配」がうるさい、と家を追い出され、行くあてもなく、母と兄と三人で街をあるき続け、最後に映画館に入って見たのが「家なき子」という映画、という立派なオチが付くエピソードも、幼稚園児の時。
 
美味しそうないちごをいただいて、生クリームで食べたいな、と言ったらなんて贅沢なやつだ、と叱り飛ばされて悪人にされたのは、五歳の時。
 
ハワイでホテルの鍵を一瞬、紛失したら、タオルで顔を殴られ、以降、延々と怒鳴り続けられ、ハワイ滞在が悲惨なものになった十代の話。
 
そんな話が延々と続く。これを、なんてひどい父親だ、と思える人はいいなあ。私は、こんなの日常茶飯事だったから、珍しくもない。学生時代に、ひょんなことから出て行け、と言われたから出ていったら、その後、ひどい目に合わされた話など、すごく懐かしい気すらしてしまう。
 
でも、阿川佐和子が物を書くようになってからは、丁寧に文章の書き方を教えてくれていたというから、そこは羨ましい。文筆家としての誠実と良心が親子をつなげたのだなあ。
 
と、悪口ばかり書いているのに、結果的に父親への深い愛情を感じさせる本になっているのは見事である。人間の奥底にあるものが、どんなふうに人に伝わっていくのか、それは時間とともにどんな変化を遂げるのか。そんなことを、私も今、現在進行形で考えているのである。

2018/7/26