ありがとうもごめんなさいもいらない森の民

2021年7月24日

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「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民

と暮らして人類学者が考えたこと」

奥野克己 亜紀書房

 
私的なことだが、突然、パソコンがクラッシュした。原稿を書いていたら、いきなり目の前で画面が何分割かされ、アイコンが消え、さまざまな色が発現し、変化し、最後にベージュ一色になった。以後、二度と立ち上がらない。その中には我が家の様々な歴史が埋もれているのだが、古いパソコンなので、もう部品もないらしく、データを救出できるかどうかもいまだ定かではない。現実の生活は何も変わらないのに、確かに失われたものがあり、その喪失感にぼんやりとしてしまう。日々、いかにパソコンに頼り切っていたのかがこうしたときにわかる。以前、引っ越しに際し、ネットにつながるまで一週間ほどかかった時も似たような感覚があった。
 
この本は、ボルネオの狩猟採集民「プナン」のもとでフィールドワークをした著者が考えたことがまとめられている。プナンは「生きるために食べる」人々である。彼らは森の中で食べ物を探すことに一日のほとんどを費やし、食べ物を手に入れたら調理して食べて、あとはぶらぶらしている。彼らは、何かを成し遂げるために生きるとか、この世をよくするために生きるとか、生きることの中に意味を見出さない。ただ、生きるために食べるのである。
 
プナンは著者の持ち物を借りてもお礼を言わないし、返す時に壊れていても謝らない。お金を借りても返すことはない。彼らが極端に礼儀知らずで自分勝手なのではなく、彼らにとってそれは当たり前のことである。そもそもが、財が個人所有されるという前提がないのである。ありがとうもなければ、反省もない。話し合いというものもあまり行われない。死はなかったことにされ、故人の思い出の品は、忘れるために焼却される。
 
読んでいて、時々うちの子もプナンになるよなー、などと考えた私である。親がやってくれることは当然で、ありがとうもごめんなさいも言わないんだぜ、まったく、と。まあ、それはそれとして。こういった民と暮らしながら、著者はニーチェなどを引用し、極めて哲学的な思考に沈み込んでいく。どちらが正しくてどちらが間違っているということはない。ごめんなさいを言わない彼らを不思議がるように、彼らは公式な場所で次から次へと謝りたがる我々を不思議がってもいい。あらゆる価値観が消失した世界の発見・・・・。
 
正直な感想を言えば、フィールドワークの話は非常に面白かったが、著者の思考を掘り下げた理屈の部分は、やや退屈であった。哲学だからねえ。もっと事実をいっぱい提示してくれたら、読み手が自由にいろんなことを考えられるのに、行先までを決められてもつまらない。と思ってしまうのは、私も負けず劣らずの理屈屋だからかもしれないが。
 
それにしても、興味深い本ではあった。食べるために生きる民の姿を、小さなパソコンの箱のクラッシュ一つにおろつく近代文明に毒された人間が読む。笑っちゃうような対比である。
 
 

2018/8/27