俄

2021年7月24日

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「俄」 司馬遼太郎 講談社

我が家がいつもお正月に初詣に行くお寺の縁(ゆかり)の人物だと聞いて、借りてきた本。幕末の大阪の俠客だった人物。殴られ屋万吉と呼ばれた小林左兵衛の生涯が描かれている。明石屋万吉とも呼ばれたらしい。

明石家さんまの芸名は、ここから来ているのだろうか。破天荒で、型破りで、枠にとらわれない生き方にさんまが共感したのだとしたら、ありそうな話だ。

11歳で家出し、賭場で殴られながら銭を稼ぎ、何でも人の世話をしながら大物に成り上がっていき、幕末は幕府側につきながらも長州藩の浪士を密かに世話したりしていた。思想はない。とにかく往来安心であればいいのだ、という単純な理屈が彼を支配していた。

大阪は、不思議な街だ。関西に住むようになって、いつも感じるのだが、大阪の人間は、他の町の人間とはかなり違う。ローカル番組に登場する、ごく普通の町の人達の面白さが飛び抜けている。ロケをするだけで、思い切り笑える番組が仕上がるのは、大阪ならではだ。

この飛び抜けた明るさはどこから来るのか。この本に書いてあることが、ひとつの要因ではないかと読んでいて感じたのだ。

普通、江戸や諸国の城下町というのは、武家と町人の人口がほぼ半々ぐらいにいっている。その点、大阪は例外的に武家の人口のすくない土地で、いわば町人一階級で町を構成しているようなものだ。自然、上(かみ)への畏れというものを知らず、階級的な身分意識が希薄で、言語動作に丁重さが欠け、身分的節度がなく、そういう意味での人としての封建的美しさがない。
〈中略〉
淀川くだりの乗合船にのっても、大阪者の集団はいっぺんにわかる。京者は京者で御所を中心とする階級社会が組まれているから分をまもってつつましやかであるが、大阪者はあたりかまわず高唱雑談し、隣の舛に武家がすわっていようがかまわず、人の迷惑もかまいつけない。要するに封建的美徳である「遠慮」という習慣がないのである。

〈引用は「俄」司馬遼太郎より)

これは悪口ではない。と、思う。司馬さんだって、堺市の人だしね。私も、これを読んで膝を打ったが、大阪は好きである。大阪の人も、大好きである。できれば関西で暮らし続けたいと考えている。こういう、封建的な抑圧のない、のびのびとした感じ、それを体現したような人物だったのだと思う、この万吉は。

それにしても、いつになったら、初詣のお寺さんとの関わりが出てくるのかしら、と楽しみにしながら読み進めて行ったら、あらら、終わっちゃった。出て来なかったじゃないの。

調べてみたら、万吉さんの嗣子が、このお寺の住職と懇意だったとかで、万吉の死後かなりたってから、彼の木像をここに安置したんだってさ。なーんだ、出てこないわけだ。

歴史に埋もれている知られざる大人物って、たくさんいるんだなあ、と思う。そうやって、周囲に影響力を及ぼしながらも、多くは知られずに、ひっそりと大事な事をし続けている人が、いつの時代にも、どこにでも、いる。そういう人達へ、私は敬意を表したい。

2012/3/7